So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン

孤独のグルメ Season7 [テレビドラマ]

6/29深夜の放送が最終回
全12話
毎週放映後すぐ見ていた。深夜だから酒が入った状態。翌朝まったく思い出せず再度見ることもしばしば
内容はいつもどおりか。序盤の飯を食うまでの部分が少々短くなっているような気がした。

覚えているのは見たばっかりの最終回だけ
序盤五郎が仕事で訪れたのがライブをやる店らしく今日の出演者の看板に「The Screen Tones」(この番組の音楽担当者であり、久住昌之も一員)があり、最終回ということで原作者、久住昌之が出るのがお約束であるが、今回はここで出るのかと納得。そういえばそこでかかっているいつものBGMがなぜかアレンジが違うというか別バージョンっぽくてドラムが目立つ。と思っていると、店内に五郎が入り、彼らが演奏しているという演出。なるほど、と思う。いったん演奏を終わり次の曲を演奏し始めるとそれはオープニングテーマ。そのままオープニングタイトルに切り替わるという演出。
もちろん五郎が訪れたのは昼間であり、演奏はリハーサル、五郎と店長が話している横を「飯を食いに行ってきます」と出ていく久住ほかバンドの面々という場面もあり。
その店の店長が大友康平、五郎が食事する店の大将が、角野卓造という布陣。角野卓造はずいぶん太ったという印象

共通テーマ:映画

ニューヨーク、アイラブユー [映画]

2009 フランス・アメリカ合作映画
04/08(日) 19:00 -
TOKYO MX2|106分(上映時間 103分)

複数の監督が各々作った短い作品群のオムニバス映画。といっても厳密にはオムニバスとは言えないらしい(ウィキより)。
--
パリを舞台にした『パリ、ジュテーム』(2006年)に続く第二弾で、ニューヨークを舞台に「愛」をテーマにして製作された作品。複数の監督が短編映画を製作したが、厳密なオムニバス映画ではなく、繋ぎカットの撮影も行って短編同士をシンクロさせ、群像劇に仕上げるという、過去に例のない全く新しい手法で作られている。よって『パリ、ジュテーム』の続作でありながら作品スタイルが異なる
--
スカーレット・ヨハンソンも監督として参加して作品を撮ったが、全編カットされたとのこと。
自分の知ってる名前としては、岩井俊二とナタリー・ポートマンが監督して参加しているくらいか。
いまウィキを眺めていたら、ナタリー・ポートマンは俳優としても別の監督の部分に参加している。
途中出てくる画家が見たことある人だと思ったが、全く知らない人だった。ウグル・ユーセル(Uğur Yücel)というトルコの俳優(兼映画製作者)らしい

オープニングとエンディングの音楽がファンキーでよかった。

エンディングクレジットのよると、次の作品として「シャンハイ、ウォ・アイ・ニー(アイラブユーの意味)」が予定されてるとのことだったが、調べてみると、なぜか、「リオ、アイラブユー」という作品がすでに数年前に公開されていて、シャンハイのものはないようだ




共通テーマ:映画

花とアリス [映画]

2004 日本
04/21(土) 00:15 -
NHKBSプレミアム|136分

岩井俊二監督、鈴木杏、蒼井優主演
タイトルは主人公の名前(荒井花(花)(鈴木杏)と有栖川徹子(アリス)(蒼井優))。主要登場人物はこの二人と宮本雅志(演:郭智博)の3人。

「詩情あふれるタッチでつづる青春ストーリー」ということが解説文にあったが、好きなタイプの作品ではない。たぶん、花とアリスの中3から高1(宮本はそのひとつ上)までが年齢の設定。少女の無邪気さと可愛さと残酷さみたいなものが詩的映像で描かれているということなのだろう。
でも、それなりに見れる。現代、日本の作品だから、共通する感覚があるのだろう。
主要登場人物以外はほとんどが彼らにかかわる一場面での登場なのだが、それがとても多く、そこに割と有名な人が多く出ている印象。その中の一人、大森南朋がずいぶん若い。平泉成も若いな。アリスの父役。アリスの母役が相田翔子でこれって年齢的に釣り合ってるのか。
落語が材料として使われている(宮本が落研で花もそれを追って落研に入り、落語を披露する場面もある)

--
2003年にキットカットの日本発売30周年を記念してネスレコンフェクショナリー株式会社が運営するウェブサイト「ブレイクタウン」でネット配信された短編映画
--
とのこと。
見た感じ、短編にちょうど良い題材であり、また企業CMなんかなら良い感じになりそうではあるが、題材として長編にまで引っ張るほどの話かとは思う。その部分とは話の発端であり花があこがれの先輩宮本に近づくために、彼が事故に遭ったのを契機に彼に「私はあなたの彼女。あなたは記憶喪失になった」と言い含めるという部分で、これで騙して長く話を引っ張るには無理があるかと。

花のパソコンにある宮本の写真(花が中3のときに隠れて撮影した)のことを宮本に問い詰められた花の言い訳が変。宮本はかつてアリスと付き合っていて、宮本はアリスと別れ花と付き合いだすと、ストーカーまがいに写真を撮り、現在宮本と付き合ってる花にアリスが嫌がらせで写真を送ってきた。というものなのだが、、花は高校に入って宮本と出会ったことになっており、写真は花が高校に入る前のもの。言ってるそばから破綻した言い訳がそのままスルーされる。うまい言い訳でないにしても破綻してない言い訳はできそうなものだが

共通テーマ:映画

ふたりの男とひとりの女 [映画]

2000 アメリカ
06/24(日) 21:00 -
BSデジ 200|135分

コメディ
主演は主演はジム・キャリーとレネー・ゼルウィガー
監督はファレリー兄弟という有名な監督らしいが、作品リストを見た限りでは今作品が初めて見る作品。
レネー・ゼルウィガーは「ブリジット・ジョーンズの日記」の人で、この作品の翌年がそれ。見る前にこの名前には気づかなかったが、見ているとき、たぶん「ブリジット・ジョーンズの日記」の人だなと思った。魅力的な顔と演技だ。トム・クルーズ主演の「ザ・エージェント」で相手役を務めブレイクとあり、「ザ・エージェント」も見たはずだが覚えていない。でもメモを見ると、そのことについても記述している。

二重人格を扱った話で、主人公チャーリー(ジム・キャリー)は警察官であり、自分を抑えて生活をしているが、その抑圧を打ち破って別人格のハンクが現れる。彼は抑えられていたものをぶちまける人格であり、粗暴であり口も悪い。アイリーンはゴルフの支配人だが、そのゴルフ場経営者は悪の組織で警察ともつながっており、警察から捜査が入るとアイリーンを差し出し、殺してしまおうと画策。巻き込まれたチャーリーは、チャーリー/ハンクとしてアイリーンとの逃走の旅。
終盤でチャーリー/ハンクが交互どころか同時に現れ、喧嘩をしだす。つまりはジム・キャリーが一人芝居で「チャーリーこの野郎」「「ハンク、お前は出てくるな」と自分の腕で自分の首を絞めたりする。これがかなり長い時間に渡ってやられるのだが、ここがそれなりにダレずに見れる。落語はひとりで複数人を演じる芸で、喧嘩をする場面なんかもよくあるが、あんな感じだ。「二階ぞめき」の最後のほうなんかまさにそんな感じか、若旦那がひとりで吉原にいる複数人物を演じだし、喧嘩をしだす。

最後のキャストクレジットの際、その横で「カットされたり出演場面が少なかった人たち」とのコメントとともに、各場面の画像とともに、名前が表示される。これが非常にたくさん。なんの意味があるのかよくわからない。エキストラとか大部屋俳優的な人をいちいち表示しているように見える。ただウシキに「トニー・コックスやアンナ・クルニコワなどがカメオ出演している」とあり、もしかしてものすごくたくさん有名な人がちょっとだけ出ているのかもしれない。にしても多すぎるな。

序盤に本編の18年前というのが出てくるのだが、この時代のチャーリーがジム・キャリーにまったく見えないのだが、違う俳優がやってるのだろうか。ただ髭が生えてるだけでそう見えないだけだろうか。ちょっと検索してみたけど、別の俳優がやってるというような情報は出てこない。



共通テーマ:映画

あにいもうと [テレビドラマ]

06/25(月) 20:00 -
TBS1|117分

「ブラックペアン」を見ている際にCMでこの番組のことを知った。山田洋次の脚本作品でどうしてこんな変な時期に割と特別な企画番組が挟み込まれたのかよくわからないが録画視聴する。
山田洋次で「あにいもうと」というと「男はつらいよ」を思い出すが、これは室生犀星の小説が原作で、いままで何度も映像化されており、今作の山田洋次脚本・石井ふく子プロデューサーのコンビのもと、1972年に渥美清・倍賞千恵子でドラマになっており、その再ドラマ化とのこと。
「あにいもうと」は「男はつらいよ」のアイデアの元になった作品ともいわれ、また、第49作はこれを下敷きに作ろうとしていたとのこと。

キャスト

赤座伊之助 - 大泉洋
赤座桃子 - 宮﨑あおい
赤座佐知 - 瀧本美織
小畑裕樹 - 太賀
岡村咲江 - 西原亜希
三四郎 - 七五三掛龍也
シマ - 一路真輝
パティ - シャーロット・ケイト・フォックス
赤座忍 - 笹野高史
赤座きく子 - 波乃久里子

宮﨑あおいがずいぶん雰囲気が違う。いや雰囲気はこれまでの役柄と違う役だからだが、顔が多少変わったようにも見える。それも役作りの一環かもしれない。
シャーロット・ケイト・フォックスってのはなんか知らんが下手だな。まあ日本語があまり堪能でない外人という役だから下手も上手いもないんだけど。

ラストはもんちの結婚パーティ前の状況で、昨晩出席を同意した伊之がやっぱりいやだと揉める場面。なぜか「男はつらいよ」第1作を思い出す。その作品で結婚式前にごねるなんて場面はないのにね。

時代背景は現在にされているが、それでも昔ながらのホームドラマで、それを現在に民放ゴールデンタイムで見ると何やら変な感じである。オーソドックスなホームドラマなんて今なかなかなさそうだし


共通テーマ:映画

ブラックペアン [テレビドラマ]

2018年4月22日 - 2018年6月24日(10回)
TBS

二宮和也主演、医療もの
プロデューサーが伊與田英徳、演出に福澤克雄が名を連ねており、日曜日21時の「日曜劇場」枠で「半沢直樹」的作品を期待して見たのだが、かなり違っていた。
全10話。金曜日に4、土曜日に3見て最終回に備えた。土曜日にも4見ようと思ったけど、第8話のサブタイトルに最終章とあったので、ここから一気に見たほうがよさそうと判断。でもそれほど大きな切れ目は感じなかった。
日曜日の午後に2時間のダイジェストがあった。本編は竹内涼真がナレーションを担当しているが、このダイジェストでは葵わかな

主人公がアンチヒーロー。善玉悪玉をはっきりと描き分け、善玉がやられそうになるが、一気に逆転というのが半沢的ドラマだが、今作はそもそも主人公の渡海征司郎(二宮和也)が善玉なのかどうかわかりかねる性格造形。その代わりなのか渡海の下っ端に研修医の世良(竹内涼真)が配置されており、じゃあこれが善玉として活躍するかというと、そうでもない。配役上の格ととしては2番手か3番手なのだが、作品上それほど目立っていない。主人公があまり喋らないから、それの代弁(心境を慮るなど)や話を進めるために配置されている感じ。
序盤では彼らが働く東城大学医学部付属病院の院長(志垣太郎)、教授の佐伯(内野聖陽)、佐伯の腰ぎんちゃく黒崎(橋本さとし)あたりが悪玉候補っぽく登場。内野聖陽が準主役格であろう。あと橋本さとしは今作で初めて名を知ったが、個人的には一番評価アップした役者。ウィキを見ると橋本じゅんと組んでの活動をかつてやっていたとのことで、なんかわかる気がした。橋本じゅんという人は「あなたのことはそれほど」に出ていた人。またミュージカルでも活動しているとのことであるが、まさにそれが生かされたような場面もいくつかあった
初回にもろ悪玉だろうとして登場するのが帝華大学側の人間で西崎教授(市川猿之助)と高階(小泉孝太郎)。小泉が悪いわけでは全然なく、むしろ健闘していて、ある意味準主役でもあるのだが、高階というキャラクターを使いすぎで疲弊してしまっている感じ。初回悪玉っぽく登場し、その初回でおなじみのギャフンと言わされるやり込められる場面がある。悪玉がヤられたら、セオリーとしてはその後は登場しないもんだが、彼は第2回にもやり込められたにもかかわらず自信が復活しており、自信満々でまた対決しまたやり込められる。その後、だんだん善玉に転向していく風に見えるが、やはり要所要所で悪玉の親分である西崎とまだつながっている様子。まあ最終的にドラマ的には善玉で納まるという役柄。作品内の前半では「スナイプ」公判では「カエサル」という機械が出てきて、それを使いこなす先頭に立つような役柄なのだが、もう後半のカエサルあたりでは、このキャラクターは解放してあげてよという風に思った。

緊張感の漂うトーンで全編が描かれており、笑いの場面やふっと息が抜ける場面がほしいような気がした。竹内涼真がそれっぽいことをちょっとやるのだが、いかんせん短くて、オチまでいかない感じ。ここはベタでもいいから笑いのポイントみたいなところまでやってほしいところ。

二宮和也および渡海について。ちょっとデフォルメしすぎでこんやなやついないだろうと思うが、まあ組織で一匹狼的人間ってのはいるだろうし、それをデフォルメしたと思えばいいのか。二宮の演技もそのデフォルメ具合が肩に力が入りすぎのような。あと、背が低いことでけなしたくはないが、やっぱ主人公キャラは背がほしいかな。誰かと対峙するたびにそれが気になった。常に見上げる感じになっていた。

このドラマ枠でおなじみの出演者がいっぱい※。また、俳優でない出演者というのもおなじみの光景。お笑い枠も相変わらずあったし。歌舞伎界からの猿之助は香川照之の大和田を踏襲したような演技もあり。陸王に出ていた音尾琢真が西崎の子分のような役で中盤で出てくるが、顔の濃さが似ていて笑ってしまった。
看護師長に見覚えあり。白石加代子のように見えるが年齢的にそんなわけなく、いや、それを除いても見たことあるぞと思っていたが、調べてみたら神野三鈴という人。小さな巨人に出ているとのことで、ああと思い出した。
渡海の相棒看護師、猫田(趣里という俳優)も見たことがある。誰だ~と思って記憶を探ると思い出した。「吉祥寺だけが住みたい街ですか?」でどの回だったかのメインゲストで部屋を借りに来た女性の役。重田姉妹に抱えて連れられる場面がいまだに記憶に残っている。そのドラマは各回のメインゲストといってもほとんど有名な人はおらず、みんな売れてない人なんだろうなと思っていた。今回の役でも、主役の相棒的役割なのに、あまり大きな見せ所なし。通常なら、猫田がどうしてこうなったかみたいので1話作れそうでもあるが※。
※売れなさそうな人と書いたが調べたら、水谷豊と伊藤蘭の娘さんか・・・。こりゃ売れるかどうかわからんけどそれなりに大物だな。またこれまでの経歴でもそこそこ評判になってるんだな

※竹内涼真は陸王での活躍がまだ記憶に新しい。音尾琢真も陸王。
今野浩喜、小泉孝太郎倍賞美津子は下町ロケット。
神野三鈴は小さな巨人
加藤浩次[がお笑い枠。加藤綾子、福澤朗が役者本業以外の枠。
三遊亭白鳥がクレジットに出ていたがどこに出ていたのやら。
沢松奈生子、田中雅美なんて人たちも出ている

最終回では渡海が勝つという展開でないというびっくりな展開。そして対立していた渡海と佐伯は和解し、責任を取って渡海は病院を去っていくというエンディング。
この最終回を見て、まあこういうのもアリかなとは思ったが、そこまでの内容からするとあまりよくできているようには思わなかった。
話が稚拙な気がする。出てくる医者の手術の際の失敗を隠そうとしたり、無理を承知で進めようとしたり。
それ以外はあまり覚えていないが、ひとつだけ例を。院長である志垣太郎がやられる場面。悪玉がやられるカタルシス的な意味ではここが一番面白かった(が、たぶんそういうカタルシスはこの作品の見せ場でないのだろう、半沢などそこが見せ場になっている作品に比べればとても小規模の落とし方)。患者のリストを帝華大学に誰かが流したとなり、そのリストにある検索者のIDは看護師の宮元だった。誰かにやらされたんだろうと自白を迫られ、結果渡海が院長がやったという証拠を見せ、院長は陥落。その証拠というのがメール。こんなもん残すなよという雑さと、さらにリストを看護師にやらせる意味がわからない。そこまでやるなら院長自らリストを引っ張りだせばいいじゃんという感じ

手術の場面、マスク、めがねとそれの間についた顕微鏡みたいなやつ。頭にはキャップで、誰が誰だかほとんどわからない。字幕を付けて見ていると、セリフを誰が言ったか表示される場面もあるし、主人公たちは色付きなので、それでかろうじてわかるという感じ。その手術の場面が尋常でなく多いのだ、この作品。

主題歌は小田和正。これ新曲なのか、と思うくらいいつもの聞いたことあるような小田和正

食事の場面。渡海は病院の仮眠室に「住んで」おり、一角を占有しちゃっている状態。そこでいつも卵かけご飯を食べているのだが、炊飯器からご飯をよそう場面を見ると、一回で食べきれる量でない分量が炊かれている。あれってどうしてるんだろう。保温か? 保温で何時間もやるとおいしくなくなるんじゃないのか
また卵はどう保管している? いつも10個入パックが無造作に机に乗っかっているが? これもまあ卵は冷蔵庫に入れなくても数日はいけると思うが。 多分その場所に冷蔵庫はない。ああ、でもこれは仮眠室に冷蔵庫なくても、ほかの場所の冷蔵庫を使わせてもらってると考えればいいのか

共通テーマ:映画

柘榴坂の仇討 [映画]

2014 日本 評価SA
04/16(月) 21:00 -
NHKBSプレミアム|121分

見終えた後、いやあ、よかったねえと感激していたはずなんだが、一晩たつとすっかり忘れている。見終えてすぐに記録しておかないとダメだな

それほど期待して見始めたわけではない。「ブルージャスミン」の項でも書いたが、連続ドラマ一気視聴中で、あまりそこに映画を挟んでも集中できないから、選ぶ際ちょっと慎重になる。この作品はなんというかタイトルが恰好良いかな、あと、主演は中井貴一かあ、くらいの事前の感想。

疲れていたので途中で一時間くらい居眠り休憩をしたが、見終えて改めて思い起こすと、ダルい冗長なところがまったくない。
静かな演技でセリフもなく止まった顔がずっと映るというような場面はたくさんあり、こういうのは無駄だといつもは思うが、それも苦にならない。というのも序盤のそれは井伊直弼役の中村吉右衛門で吉右衛門がそういう演出をされるのは致し方ないし文句もない
話としては井伊直弼の護衛役だった志村金吾(中井貴一)が切腹も許されず仇討に出るよう言われ、敵を探すという話で、序盤に桜田門の一件がある。

敵役は阿部寛。直吉という人力車の車夫の役(元は佐橋十兵衛で直弼襲撃の一味、明治の今、姿をくらませている)。で、これも序盤のうちに見ている側にはわかっている。これについては序盤に阿部寛が意味ありげに何度も映り、それゆえこの人が敵役なんだろうなとわかってきた感じだったが、よく考えてみると、序盤の桜田門の場面で、直弼の隊列に直訴を願い出てくるのが阿部で、そこで見ている側は、阿部寛が出ていることが頭に刻まれ、その後のストーリーの展開で中井貴一が敵を探すという筋に、阿部寛が敵役なんだとわかるという構造になっていると気づいた。これが、顔が知れている俳優のうまい使い方だなと思う。※見直してみたら、序盤の桜田門の場面で直訴状を渡してるのは阿部なんだろうけど、顔は映ってなかった
で、中井貴一と阿部寛は追い追われる関係であるから、なかなか対峙しないのであるが、中盤を過ぎたあたりか、とうとう対峙する場面が訪れるのだがこの場面がこの作品で最高だった。痺れたねえ。
しかし、まだ作品は中盤を過ぎたあたり、まだクライマックスの見せ場になるには早い。ここで剣を交えたら作品は終わってしまうしどうなるのかと。このあとは、二人だけの芝居が延々と続き、顔のアップで静止というような場面も多々あるが、悪くない。緊張も途切れない。
あとはラストどう決着をつけるか。話し合いで両者が和解、納得するのか、それじゃあまりにも甘ったるいな、などと思っていたが、結局剣を交えることになり、そうなりながらも、両者死ぬことはなく、両者生き続けることを約し、別れ、ラストは両者の今後、それもハッピーエンド的なものが暗示(特に直吉のほうのそれ、同じ長屋の娘持ちの未亡人と関係を深めていくことになる、が良い)され終わっていく。志村の切腹という風に終わり方も想像したが、そうでないところがよかった。

考えてみると最後の斬り合いって本気なのかねえ。どちらかが死んでしまったら、こういう結末にならないだろうし。でも中井側がもうすでに斬り殺すつもりはないっていうのは考えられるな。阿部側は討たれたいという願望があったはずでだからこそ自害しようとした。

藤竜也もよかった。

共通テーマ:映画

ブルージャスミン [映画]

2013 アメリカ 評価SS
06/22(金) 13:00 -
NHKBSプレミアム|100分

ウディ・アレン監督作品。

日曜日に最終回になるテレビドラマ「ブラックペアン」の録り溜めていた録画を今日見始めており、であるからそのままそれを見続けたほうがよいのだが、日曜日のその時間あたりに全部見終えるようにタイミングを考えており、今日見過ぎると、最終回までに変に時間が空きそうで、じゃあこの空いた時間になにか見ようかなと思ったとき、あまり集中できるような気もせず、サッカーW杯でも見ようか、どうしようかと迷いながら、録画済リストを見ていて、本日放映されたこれを見つけた。最近はどんな作品かなどをあまり調べず、毎日この時間帯のプレミアムシネマは録っているので、録り終えたのちにどんな作品かと改めて知る。で、ウディ・アレンなら日を改めてじっくり見たいとも思ったのだが、短い作品だし、ここで見てしまうかと、見ることにした。
ウディ・アレンなので期待せずに見たということはなく、もちろん期待して見たのだけど、期待以上だった。面白いなあ。なんてことのない作品のようで誰にでもいつでも作れそうな作品なのだが、あまりこういうのは見かけない。ウディ・アレンの独特さが際立っている感じがする。
一応コメディとされているが、直接的に笑わせるような仕掛けはなく、ただ登場人物の置かれている悲惨な姿が物悲しくも可笑しいといったタイプである。
音楽は古いジャズで、ウディ・アレンの作品は自らが演奏も含めて音楽を担当することもあり、その彼がやっている音楽は古いジャズなので、これもそれかなと思ったが、クレジットではルイ・アームストロングやキング・オリヴァーの名があったので、古い音源を使っているのだろう。その手の哀愁とコミカルを兼ね備えた古いジャズがかぶさるとコメディな匂いが感じられる。

主演はケイト・ブランシェット。アカデミー主演女優賞だそうだ。
ボビー・カナヴェイルという人が出ていて、この人は出てきた瞬間わかった。「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」に出ていた人だ。

主人公ジャスミンは微妙に気が狂った女性という設定で、ここらへんも、作品内では嫌な部分が強調されているが、見る角度を変えれば、みんなこんなもんだよとも思えるし、それについてはこの作品のほかの登場人物についても同じだ。
で、そういう人たちだと思いながら見ていると、エンディングがどうなっても納得できる。嫌な女だけど、ハッピーエンドで終わってもおかしくないし、なにも結末がなくてもおかしくない。また、ジャスミンが本格的に狂ってしまうみたいな結末もアリかもしれない。
実際の結末は・・・。
エンディングでちょっとだけ驚くような展開。ジャスミンは元旦那が捕まって自殺しているという設定で、彼女は元旦那が悪いことをやってるということをまったく知らなかったという風に話は進んでいくのだが、中盤あたりで知らないわけはなかったわよ、などと言い始め、そしてエンディングで、実は元旦那をDBIに通報したのは心理的に不安定だった彼女だったという結末。

これは計算ずくだと思うが、作品内の現在時間、ジャスミンの夫はもう死んでおり、妹の元へ身を寄せている、と過去、すなわち、彼女と元夫との生活、の場面が頻繁にそして現在時間の場面から過去の場面に移る際に、そうとは思わせない、まだ現在時間の続きの場面かと勘違いさせるようなつなぎ方で過去の場面に移っていくところが非常に特徴的。といってもどういう計算なのか、どういう効果があるのかわからないけど。とりあえず自分はそのたびに、あれ、これは過去の場面かと驚きながら、わかりづれーなと見ていたけど。まあこのわかりづらさは楽しい


共通テーマ:映画

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ [映画]

2001 アメリカ 評価SA
06/12(火) 02:09 -
日テレ1|110分(上映時間 95分)
映画天国

これも「映画天国LGBT映画祭」のうちの1本。
ロック・ミュージカル
解説ではデヴィッド・ボウイやマドンナがこの作品のファンだとのこと。

なかなかな内容だった。最初見始めたとき、序盤でいろいろ画面が切り替わりながらもその中に結構大量な情報を入れているようで、見逃さないために巻き戻して見返したりしていて疲れてしまいすぐ眠ってしまった。ただ全体を見てみると、画面が素早く切り替わり、その短時間の映像の中に気になるようなものが入ってくる演出は序盤だけでなくいろいろなところにあった。

主人公は中性的なロッカーのヘドウィグでバンドである「アングリーインチ」とともにクラブ回りをしているようである。「アングリーインチ」にはヘドウィグの夫と称されるサイドボーカル(メインボーカルはヘドウィグ)がおり、彼は楽器をやっていない。それ以外はギター二人にベースとドラム。別の場面でキーボードがいるという演奏場面もある。
序盤で今やロックスターであるトミー・ノーシスがヘドウィグとかつて関係があり、ヘドウィグの作った曲を盗んでメジャーデビューして成功を収めており、ヘドウィグはトミーを追いかけまわしているということがわかる。
そして、回想でヘドウィグがどういう道を歩み今があるか、またトミーとはどういう関係だったのかが描かれる。ヘドウィグは東ドイツ出身で本当の名前はハンセル。米軍軍人と結婚し東ドイツを脱出、その旦那と別れてミュージシャンとなったというのがあらまし。
最後のほうは歌ばかりで話が進みよくわからなかった。ついにトミーと再会、和解、しかし自動車事故が起きる、トミーはヘドウィグを初めて会った人だと釈明、ヘドウィグのほうは雑誌に好意的に取り上げられNYの有名人に、そしてラスト2曲くらい。ヘドウィグが歌っているところにトミーが現れるが、これはストーリーとしてそうなっているというよりも、ストーリーから離れたミュージカル的場面っぽい。そして今度はトミーが歌いだしそこにはヘドウィグの夫もおり、ということはこれは「アングリーインチ」なのだろうか、この場面は正装っぽく着飾っており、ほかの場面と違うのでバンドメンバーが一緒かどうかよくわからない。そして、ということはヘドウィグは死んだのか? これもよくわかないが、そういうミュージカル的、そして映画的演出の場面だ。その後この作品の別の場面にもあった簡素なアニメ的映像が流れ、最後は裸の人間が後ろ姿で映し出され、歩いていくというもの。この最後の場面も誰なんだかわからない。
 ※この最後の場面については、ほかのネタバレサイトを見てみたが、全然違った。他サイトから引用する
----
トミーはヘドウィグに謝罪をし、二人の仲は直るかと思ったその瞬間、車は事故を起こしてしまう。その事故のおかげで、二人の関係はスキャンダルとして報道され、一躍有名になったヘドウィグ。

バンドのヘドウィグ・アンド・アングリーインチもそれなりに人気が出たがトミーを追いかけることを辞めないヘドウィグは最後のライブ中、頭に被ったカツラを取り、胸に入れたりんごも投げ捨て、半ば放心状態でトミーのライブ会場へ乗り込む。

そこでトミーが歌っていたのは二人が最初に出会ったときにヘドウィグが歌っていた曲の替え歌。歌詞にヘドウィグへの謝罪をこめて歌うトミーの歌に耳を傾け何かが心の中が解けはじめるヘドウィグ。

ヘドウィグは自分のバンドのもとへ戻り、ありのままの姿で歌を歌い、歌を歌い終えると生まれたままの姿で街の暗闇の中へ消えていく…
----
カツラをとって歌うヘドウィグというのをトミーと勘違いしたんだな。あれがヘドウィグなら、ラストの裸で出ていくのもヘドウィグというのは納得。そうか、扉を開けて隣りのトミーのライブに行ったのか、これもよくわからなかった

ヘドウィグは演じた人が役に入り込んでいるという感じですばらしい。
ジョン・キャメロン・ミッチェルという人が監督で主演、元々これはミュージカルで彼が原作・主演を手掛けたもの。
曲もあまり好きなタイプではないのだがなかなか良い。とくに、ペニスを切った経験を歌った歌がよかった。「そして残った。6インチから5インチ消えて残った怒りの1インチ」という歌詞でそれがキャッチーなリズムに乗っていて楽しい。
「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」のヘドウィグは頭にかつら、アングリーインチは上記の怒りの1インチみたいなところから取ったのだろうか?(※ウィキ見たらアングリーインチについては予想どおりだった。「だが手術は失敗し、股間には「怒りの1インチ(アングリー・インチ)」が残された」)
ヘドウィグは作品の中では母親の名前で、東ドイツから脱出するときに母親のパスポートで出てきたところからそれを名乗っているとのこと。そしてその東ドイツから脱出するときに、一緒にペニスを取る手術をして失敗したというエピソードから上記の歌が歌われる

作品の中にデヴィッド・ボウイの写真が出てくるところがある。ルー・リードともうひとりとともに写ってる写真であるが、作中で子供時代によく聞いたロックとしてぼうい、ルー・リード、イギー・ポップの3人名前を上げている場面があったから、そのもうひとりはイギーなのかな、たしかTレックスのTシャツを着ていたが。

ストーンズの「無情の世界」にかけたセリフが出てきていた。ヘドウィグが大学時代に書いた論文のタイトルが「You,Kant, Always Get What You Want」。
見ているときは曲のタイトルのyouの後に哲学者カントへの呼びかけを挿入、「カントよ、お前は・・・」という風にしているのだと思ったが、これを書いていて気付いた。kantとcan'tという似た語感の単語を差し替えてシャレにしているのだな。でもcan'tをなくすと否定形がなくなるので、「カントよ、お前は欲しいものを常に手に入れている」となってしまい本来の「お前は欲しいものはいつも手に入れられない」という意味がなくなってしまい「無情の世界」ではなくなってしまう。ちなみに訳は「カントよ、ここは無情の世界だ」
プリンスがかつて名乗った「The Artist Formerly Known As Prince」にひっかけたセリフもあったな。

共通テーマ:映画

人生はビギナーズ [映画]

2010 アメリカ
06/05(火) 02:09 -
日テレ1|110分(上映時間 105分)
映画天国

以前にもやった「映画天国LGBT映画祭」。
今回は3本。うち1本は以前に見た『チョコレートドーナツ』なので今回は録画しない

父親がともに結婚生活を44年続けた母親の死後に息子にゲイを宣言するという序盤の展開。派手な内容に見えるが、全編地味で静かに話は展開。ゲイをテーマにしてはいるものの、それがたっぷり描かれるという感じではない。
父親は母親が亡くなって4年後に亡くなってしまう。それが2003年で、作品の現在時間は2003年。息子に恋人ができるものの、人付き合いのうまくない彼はその恋人ともぎくしゃくとした恋愛をする。この現在時間2003年と回想場面となる父親の最後の4年間と、息子の子供時代、ここは家族3人で暮らしているはずなのだが、ほとんどが息子と母親の場面(母親がちょっと異様で、そのために息子が大人になって人付き合いに不器用な理由なのだろう、そして母親の異様さはたぶん夫との関係からくるものだろう)、この3つで構成されていて、とくに2003年の息子の恋愛と、父親の最後の4年間が交互に同じくらいの分量で描かれる。かなり頻繁に、これら3つの場面がかわるがわる出てくるが、それでいてうるさい印象はまったくない。
アート系の作品だと思った。「アート系映画」と「芸術的映画」と分けて使っていることに気づいた。感覚的なものだけど。

上映時間が105分となっていて、放映時間は110分。解説が「映画天国LGBT映画祭」ということで特別に長くあるので、カットはいくらかあるのだろう。
一気に見終えた。これは自分の体調がよかったせいというのが理由の大半なのだと思うが、それでも飽きずに一気に見れたというのは良い作品だったのだろうとも思う

監督はマイク・ミルズ
出演はユアン・マクレガー、クリストファー・プラマー、メラニー・ロランで、クリストファー・プラマーがアカデミー助演男優賞

共通テーマ:映画