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わたしを離さないで [テレビドラマ]

2016年製作、TBSのドラマ
先日見た「日の名残り」の際に、いろいろ検索していたときに、ノーベル賞受賞記念としてこのドラマの再放送が決定したとのニュースに接し、見てみることにした。
ノーベル賞を取った作家(カズオ・イシグロ)の作品を原作にした日本のテレビドラマ、そして主演が綾瀬はるかということで、なんとも微妙な気分になった。
原作はどんなものか全く知らない(これを書き終わったあとに、ウィキなどを読んでみる)。

見終えた結果、非常に良かった、そして非常に複雑な感情だ。どう捉えてよいのやら。
まったく情報を入れずに見始めて、第1話で結構な衝撃。最初の30分くらいか、かなり長時間、登場人物がどういう背景があるのかわからず、なんだこりゃと思いながら見ていた。子供時代の場面が続き、しばらくするうちになんとなく入り込んでいったが、その回のラストで構図が明かされ、あっと驚く。掴みはオッケーという出だし。
まあ子役にあんな難しい事させるのはどうなんだろうとは思うが。
その後チラリとウィキを見て、「第1話 - 第3話を「第1章:陽光学苑編」、第4話 - 第6話を「第2章:コテージ編」、第7話以降を「最終章:希望編」としている」とのことなので、3話ずつ見ることにする(3,3,3、1のペース。4日間で完了、放映日時を最後に記すが、最終回が放映されたのは本日の未明)。
舞台設定がなんともぶっ飛んでいて、主人公たちは「提供者」と呼ばれ、「人間」に臓器を提供するために育てられてるというもの(のちに人間の細胞をコピーして生み出されたクローンだとわかる)。「人間」扱いされておらず、基本的人権ももちろんない。それだからだろうか、「日本国憲法」を彼らが持ち出す場面がある。
もちろん、作品のテーマがこの「提供者」制度の良しあしを言ってるのではない。この提供者を人間に置き換えろということなのかもしれないが彼らに感情移入するのはちょっと無理。
マルコムXだったか、アメリカの黒人について、監獄につながれてる囚人と変わらない、アメリカという監獄につながれてるのが黒人だ、というような比較をしてみせた例があったが、やはり両者を同じとするのは無理であり、このドラマでも「人間」が「提供者」を自分に置き換えるというのは難しいし、製作者もそんなことは考えていないだろうと、まあそんなことを思いながら見ていたのだが、見終えたのち、番組サイトの文章などを読むと、この設定から「人間」も同じものだということを伝えたいという様子を感じる。
まあ、それはそれ。もう一つの番組の柱が人間が人間を支配するということ。これが強烈で、ドラマ内では美和が恭子を支配するという形。自分はどちらかといえば、「提供者」うんぬんよりも、こちらの設定に目を奪われた。なんというか「心がザワザワ」する感じが延々続く。悪い方向に行くとしか考えられないような展開の連続。ただ、これが最後まで続くのかと思いきや、これは第7、8話で終焉に向かい、最後には和解して、美和は死んでいく(提供を終える)。全10話の最後まで行かずにそのテーマが終わるということは、やはり、こちらは作品を貫くテーマではなく、あえていえば、大テーマを見てもらうための撒き餌。
この支配については、あれだけ強烈な支配行動をしてきたのに和解なんて結末は安直であざといように思うかもしれないが、見ている分にはまったくそれを感じない。話の運びがうまいのかと考えたが、このドラマは静かな展開で、話の進行が遅く、それゆえ話の運びがうまいということでもない。そこに安直さを感じなかったのは演出の良さや演技のうまさだろうかと思う。

※再放送の日程は下記の通り。

10月18日26:35~27:45 第1話

10月19日27:05~28:00 第2話

10月20日27:07~28:00 第3話

10月23日26:35~27:30 第4話

10月24日26:45~27:45 第5話

10月25日26:35~27:30 第6話

10月26日27:05~28:00 第7話

10月27日27:07~28:00 第8話

10月28日27:08~28:00 第9話

10月30日26:20~27:12 第10話

アンドリューNDR114 [映画]

1999 アメリカ 吹替版
10/29(日) 21:00 -
BS朝日1|114分(上映時間 132分)

ロビン・ウィリアムズ主演
人間になりたがるロボットが主人公のSFでロビン・ウィリアムズがそのロボットを演じる

原作はアイザック・アシモフ『バイセンテニアル・マン』(映画の原題は原作どおり)

ロビン・ウィリアムズは名優なんだろうし、自分は好きな俳優であるが、変な役がとても多い。まあ変な役がやれる役者として売れたということなのかもしれない。「ジュマンジ」だとか「ナイト ミュージアム」だとか、ほかにも色々。B級とはいえないかもしれないが、どうも正当に評価されそうにない映画への出演が多いように思える。


パリで一緒に [映画]

1964 アメリカ
10/28(土) 19:00 -
BS12トゥエルビ|135分
【土曜洋画劇場】

序盤を見て、見始めたのが夜遅かったせいもあるし、それほど見続けたいと惹きつけられるものでもなかったから、一旦中断。翌日、なんとなく今作についてウィキを読み始めてしまったのが失敗。どうやら酷評された作品らしく、それが頭に引っかかって、どうせろくでもない作品だろうという目で見てしまった。まあ悪い評価はわかる。内輪受け、悪ふざけという感じが強い。でも見ていて楽しい作品であるとも思う。
オードリー・ヘプバーン、ウィリアム・ホールデンのふたりが主役。『麗しのサブリナ』で共演した二人だそうだ。リチャード・ベンソンという脚本家がウィリアム・ホールデンで、彼に雇われたタイピストのガブリエル・シンプソンがオードリー・ヘプバーン。脚本の構想を語るうちに、それが劇中劇になりその劇中劇の主役も彼ら二人が受け持つという形式。脚本を書く場面と劇中劇が交互に出てくるというような展開。
作内で「ティファニーで朝食を」や「マイ・フェア・レディ」が出てきていた。「マイ・フェア・レディ」はこの作品の後のはずだから、この時点ではオードリーを意識せずに出してるのかなと思ったが、よく考えたら同年だから、製作に入っているというニュースは当然あっただろう。
ウィキより--
作品中、マレーネ・ディートリヒ、トニー・カーティス、メル・ファーラー(ヘプバーンの当時の夫)、ピーター・セラーズがゲスト出演し、フランク・シナトラ、フレッド・アステアの歌が使われている。いずれもクレジットはない
--
確かフレッド・アステアのクレジットは冒頭にあったはずだが・・・。
フランク・シナトラについては、上記のように脚本家が構想を語る中で、その作品の冒頭のクレジットについて延々と語る場面がある。「ここで大きくタイトル、そして製作者の名前、脚本家の僕の名前・・・」という具合に。で画面はその構想どおりのものが映し出されているわけだが、その続きで、「歌はシナトラに歌ってもらおう」とあり、シナトラの歌が流れ、画面には「ソング・バイ・ふらんく・シナトラ」と出るという、こういう形(劇中劇)ではクレジットがあるともいえる。

劇中劇内では、登場人物が「この脚本はどうのこうの」などメタフィクション的な言動をしばしばとる

オードリー・ヘプバーンがツイストを踊るという場面があった。初めて見た。珍しいような気がする

ノスタルジア [映画]

1983 イタリア・ソ連 評価SA
10/26 13時- NHKBS

アンドレイ・タルコフスキー監督の作品
芸術映画で、正直なところ全然わからなかった。
番組紹介のところにも、そしてウィキにもあらすじが載ってるが、ストーリーはまったくわからなかった。後で読んでみるが。
映像美が特徴なのだそうだが、自分が気付いたのは色合いについて。といっても自分の低い知識ではそれくらいしか言及できるところがないというのが実情。
確かオープニングがそうだったと思うが、モノクロの場面が多く、モノクロの映画と勘違いしてしまいそう(カラーの場面もたくさんあるが)。モノクロの映画なのかと思ってみていると、鮮やかなカラーの場面があったり。カラーで印象的なのは緑で、草原や木が見える情景。またモノクロだと思っていると一部に色がついてる部分があったりして、それもモノクロの世界の中、一つだけを赤で目立たせるというようなそこにどうしたって注目が行くというようなやり方でなく、よく見ると色がついてるなとようやくわかるのような使い方でそこが印象的。例を挙げる。こういう場面は何度も出てきたように思うが、映し出されている情景自体が白黒で構成されてるような場所、例えば白い壁に影や染みが浮かんでいるというような。この時点ではカラーであってもモノクロの画面だと勘違いしてしまう。そこに人間の後ろ姿、髪や、服が白黒で映し出されているが、これも本来カラーのものがモノクロになってるのかどうかは判然としない。その人間が顔をこちらにゆっくりと向けると、その顔がうっすらと肌色になっており、ここでカラーであることに気づく。これは全体をモノクロにして一部に彩色しているのか、全体がカラーになってるのに、人間の背景に色がないからモノクロに見えるのかよくわからない(人間の着ている服が赤の可能性だってあるし、もっといえば壁の色が白でない可能性もある)が。

もう一度見てみようということでの評価SA。
夜中寝る前に酒を飲んで、その後テレビ(というか主に録画)を見ながら眠くなるのを待つ。その際はまだ見ていない新しい作品は当然止めにする。素面の状態で見るべきだから。で、そういうときのチョイスは頭にストーリーの入ってるものの好きな場面を早送りで探して見るというのがひとつ。またわかりきったストーリーのテレビドラマ、というかはっきりいってしまえば必殺の日々たまる録画。必殺はとりあえず全シリーズ見終えたが、保存用に録画を続けているのだ。
ただやっぱり飲んでるのでセリフを頭で理解するのがかったるい。良いのは音楽。でミュージカル的なものをよく選ぶ。音楽に加えてダンスだとか演奏場面だとか、あまり考える必要がないからだ。
そしてそれに匹敵するこの時間委良いチョイスは、テレビでNHKやMXでやってる静かな音楽と映像(自然の景色だとか電車の映像だとか)。
さて、何が言いたいのかとといえば、今作は後者のような意味合いで寝しなに見てみようかなと思ってるのだ。映像は落ち着いていてきれいで、派手派手しくないし、内容は頭に入らないから、すぐ飽きて眠れそうだ

ブラッド・ダイヤモンド [映画]

2006 アメリカ
10/16(月) 21:00 -
NHKBSプレミアム|145分

レオナルド・ディカプリオ主演
最初30分くらい見て眠くなってしまい、一旦中断。そこから再開しようと思ったけど、気が変わって最初から、見た部分は早送りで見返したら、ずいぶん見落としていたことに気づく。30分でこんない見落としているとなると、一回見たくらいじゃどれくらい見落としているのかと思う。
つまらなくはなかったけど、ちょっと疑問も残る。
ウィキより--
アフリカのシエラレオネ共和国での内戦(1991年 - 2002年)での、「ブラッド・ダイヤモンド」(紛争の資金調達のため不法に取引されるダイヤモンド、いわゆる紛争ダイヤモンド)を巡るサスペンス
--
とのこと。部隊はアフリカ大陸で、レオナルド・ディカプリオが演じるのはアフリカ出身の白人で紛争ダイヤモンドの取引に関わっているダニー・アーチャー。であるから、悪役の装いで登場してくる。
ほかの主な出演者は、ダイヤの採掘中(革命軍の指揮下で)に大きなダイヤを発見し自分のものにしようとダイヤを隠す地元の漁師ソロモン。このダイヤをめぐっての物語で、彼のみがそのダイヤのありかを知っているということで話の中心人物になっていく。
もう一人はアメリカ人女性ジャーナリストのマディー。
ダイヤの話と並行してアフリカの内戦の様子が描かれ、そこに少年兵が登場。ソロモンの息子も革命軍にさらわれ、兵にされるという展開で、その少年兵の洗脳のされ方などが描かれ、いずれ父子が悲惨な再会をするのだろうなと気が重くなりながら視聴。
革命軍に正義はないし、ダイヤを密売する白人にももちろん正義はないし、中盤まではそういう悪を扱った作品だと思いながら見ていたのだが、中盤あたりで、ダニーとマディーが心を通わせあい、また後半ではダニーとソロモンが心通わせあい、またソロモンは息子と再会し、息子は父に銃を向けるという場面になるものの、必死の説得で父子の感情を取り戻すという、見ている側には安心安堵の展開。なのだが、ここがちょっと疑問で、ダニーとマディーは、お互い反発しあっており、段々心を通わすみたいな情景は描かれていなかったようで、唐突に感じた。これはダニーとソロモンについても似たようなもの。まあこちらは、ずっと二人での旅をしていたからそうなるのもわからなくもないけど。また父子の再会での説得の場面も割とあっさりで、ああ、そうなるのねという感じ。
力の入った作品だとは思う
アフリカ現地人の会話が現地語と英語が入り混じってるのが変な感じ

メッセージ・イン・ア・ボトル [映画]

1999 アメリカ
10/23(月) 21:00 -
NHKBSプレミアム|132分

ケビン・コスナー主演(ギャレット・ブレイク役)。晩年のポール・ニューマンがギャレットの父親役
つまらなかった。つまらない作品の多くのパターンは序盤でセンスが悪いと判断してしまうような演出(話に都合の良い展開やありえない展開)によって、その後はそういう目で見てしまうというようなもので、それはこのメモ書きにも頻出するが、これはそういうのとはちょっと違う。序盤から中盤あたりまで話が平板で飽きてしまったのだが、センスの悪い演出というのは全くなかった。ひとつちょっと嫌だなと思ったのは、主人公の女(テリーサ)がマスコミの人間で、海辺で拾った「メッセージ・イン・ア・ボトル」の差出人を探すというような展開なのだが、そういうのはそっとしておいてやれよというようなマスコミに対する嫌悪感がちょっとだけ。その手紙のことを同僚に話したら、勝手に紙面に乗せられその女は激怒(「勝手に載せるなんて」ということだろう)するが、その舌の根も乾かぬうちに、反響できた情報をもとに差出人調査に没頭するなんてのもひどい。そのマスコミ云々は別にして、ただこの調査をした結果テリーサはギャレットに出会うことになり、それを隠しているということが、話の中盤のアクセントになっていく。
テリーサはギャレットに身分やその調査のことを隠し、近づいていき愛し合うようになる。見てる側としてはテリーサが調査の結果ギャレットに辿りついたということを隠してるということが心に引っかかっているのだが、それがなかなか暴露されず話が静かに平板に続くので、調査のことが心に引っかかってるのはおれの見間違いなのか、テリーサはギャレットにそのこと告白したっけ、などと思い始めてしまったのだが、作品のちょうと中間あたりで、そのことが露わになり、ようやく話が動くことになる。その後はまあそれなりの出来ではあるが、ラストのギャレットが遭難してしまうという展開はちょっと都合がよすぎる展開かな。
どこら辺が見どころなのか、中盤まではとくにわかりづらかった。静かで平板な展開でラブストーリーを見せる芸術的作品というにはちょっと商業主義的作品だし、逆に商業主義的作品としては単調だし。

プルーフ・オブ・マイ・ライフ [映画]

2005 アメリカ 評価S
10/24(火) 01:59 -
日テレ1|119分
映画天国

特に期待もせずに見たのだが、最初から最後まで興味を惹き続けなかなかの作品だった。見る前に概要を見て、確かに多少面白そうだなとは思ったが、これほどとは。
演出や流れる音楽(クラシック調のいわゆる映画音楽だが、登場人物がロックバンドを組んでおり演奏場面があったり、それに合わせてなのかマディ・ウォターズの曲が使われる場面がある)でシリアスな調子の作品だということがまずわかるのだが、扱われるテーマがありきたりでない、ちょっと異様なもので、数学である。数学を扱ったものというと「博士の愛した数式」くらいしか思い起こさないなと考えていたが、今作の途中で黒板いっぱいに数式が書かれた場面がチラッと流れ、「グッド・ウィル・ハンティング」なんかも思い出した。
登場人物は4人。主人公キャサリン、父親は偉大な業績を上げた数学者ロバートで、演じるのはアンソニー・ホプキンス。キャサリンの姉、クレアとロバートの生徒ハル。
出だし、作品内の現在時間で、ロバートが亡くなり、キャサリンが晩年のロバートと二人で暮らし世話をしていたということが語られ、またロバートがすごい数学者であること、晩年はちょっと普通でなかった様子などがわかる。この時点で数学をめぐる話ということがわかり、あまり普通でないテーマであり興味が沸く。また、クレアが登場し、キャサリンの方にもどことなく異様さがあることがわかってくる。
そして中盤に一気に話の方向性が変わるところがある。これがこの作品で一番盛り上がるところでもある。ロバートの机の中から、数学の世界的な証明が見つかるのだ。そしてそれを書いたのはもちろんロバートなのだとハルもクレアも考えるのだが、キャサリンは自分の書いたものだと言い出す。そして過去の回想場面が始まる。ここら辺では、キャサリンが偉業を自分のものにしようとしてるかのように見える演出もなされ、サスペンス風にもなる。話がどういう方向に行くのかがまったくわからなくなり、興味が増してくる。この後作品は現在時間において、三人が何が起きたのかを論争したり、その証明の検証をしたりする場面に、真相が段々と明らかになっていく回想場面が挟み込まれる形で進行。
結末はそこまでの盛り上がりと比較してあっさりしてるというか地味というか、あまり劇的でなく無難なもの。でも充分に楽しめた

マイヤ―リング [映画]

1957 アメリカ
10/21(土) 19:00 -
BS12トゥエルビ|90分
【土曜洋画劇場】

ウィキより--
『マイヤーリング』(Mayerling )は、1957年のアメリカ合衆国のテレビ映画。1889年に起きたオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子ルドルフと男爵令嬢マリー・ヴェッツェラの心中事件(マイヤーリング事件)を題材にしたクロード・アネ(フランス語版)の小説『うたかたの恋』(1930年)を原作としている。アナトール・リトヴァク監督にとって同原作の映像化は1936年の『うたかたの恋』以来2度目となる。

1957年2月24日に米NBCのテレビ番組『プロデューサーズ・ショーケース(英語版)』の1本として1度だけ全米で生放送された。その後、長く「幻の作品」とされていたが、ブラウン管に映し出される生放送の映像を(フィルムの)映画に記録するという、当時の録画技術(キネコ)で保存されたモノクロ映像(放送時はカラー)を復元した白黒映画が、2014年1月4日から日本で劇場公開された。

当時夫婦だったオードリー・ヘプバーンとメル・ファーラーの共演作である
--
上記からわかるようにまずテレビ映画ということで、演出が安っぽい。長編映画や連続テレビドラマの総集編だとかダイジェスト版のような、進行が駆け足で展開が早い。短い作品(本編尺75分)ながら3幕ものになっている
「生放送」というのはびっくり。セットが各々用意されていて、場面が変わるごとに出演者が移動するというような形でやっていたのだろうか。
映像がとても粗い。人物の顔にドットが浮かび上がっているのが見えるくらいである。
オードリー・ヘプバーンの珍しい作品という意味程度のものであろう。

新・荒野の七人 馬上の決闘 [映画]

1969 アメリカ
10/22(日) 19:00 -
BS日テレ|114分

予想通りではあるが、高名な作品である「荒野の七人」の安直な続編。
主演はジョージ・ケネディで、「荒野の七人」でユル・ブリンナーが演じたクリスを演じている。ジョージ・ケネディは好きな俳優の一人だが、これはちょっと合わないように思う。
内容は7人のガンマンが苦境の農民を助けるという大枠は残しての安直なキャラクターや演出が多い。例えば7人のガンマンの中には、子供になつかれるのがいたり、農村の女と仲良くなるものがいたり、農民からも一人参加したり。ガンマンたちの中でクリスに続くナンバー2は、「荒野の七人」でのスティーブ・マックイーンの焼き直し。
演出面でも、序盤の7人が集ってくるところなんかはほとんど感激がなく、淡々と7人が集められる。ガンマンが対峙するのは、農民たちが革命を計画しているのだが、その中心人物が捕らえられてしまい、それを救出するため収容所を襲撃するという話で、大げさに看守が囚人をいたぶる場面なんかも安直。
クライマックスで7人のうち4人が殉職するのも予想通り。
ちょっと面白い構図なのは、助けを求めてきた農民は家も焼き払われ、丘に住んでいるのだが、その丘を牛耳ってるギャングみたいのがいて、ゆえに、ガンマンたち、収容所、ギャングと三すくみのような状況であること。であるが、それがストーリーにうまく利用されてるわけでもないが。
上記の子供はエミリアーノ・サパタという実在の人物だということをウィキで知った。

隠し砦の三悪人 [映画]

1958 日本
NHK BSプレミアム 2017年3月23日(木)14:55~17:15

娯楽性の強い時代劇。時代設定は戦国時代とのことであるが、あまりはっきりとしない、いつの時代かわからないような史実とはあまり関係のない設定。冒険譚であり、『スター・ウォーズ』のアイデアの元であるとのこと。
台詞が一部聞き取りにくく、ただ、そのために話がわからなくなるということはあまりない画面を見てるだけでわかるようなストーリー。ここ何作か黒澤の映画を立て続けに見ているが、今のところ一番つまらない。わかりにくかったのでもう一度見てみたいが、いや、つまらなかったしなあ。

主演は三船敏郎で武将の役。姫を連れ、金塊を運ぶというようなストーリー。姫の役は上原美佐という人で、この作がデビュー、その後すぐに引退する。なんか素人だなあと思った。エピソードが興味深い。彼らに付き従う農民二人は
太平:千秋実
又七:藤原釜足
で、藤原は名前をよく見るが、ここまで出ずっぱりの作品は初めて見るような気がする。千秋のほうは晩年の姿をよく覚えている。「七人の侍」の七人のうちの一人だ。
台詞が聞き取りにくいところがたくさんあり、でもそれで話が分からなくなるということはなく、画面を追うだけでわかるようなストーリー。ただちょっとストレスではある。
わかりにくい部分もあったのでもう一度見てみたいが、ここ何日か立て続けに黒澤の映画を見たが、これまでのところ一番つまらないということもあって、もう一度見るほどではないかも。
加藤武も出ている。多分わき役、見逃した。ウィキにエピソードがある--
落武者が殺され倒れている横を馬が駆け抜ける場面では、一頭の馬が落ち武者役の加藤武の頭を蹴ったため、加藤は少し頭を上げたかたちで死体を演じつづけた。黒澤はのちに対談で、撮影後加藤の衣装を脱がせる手伝いをした際に、妻が加藤にもたせたお守りを見てほろっとしたと語った
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都合よい展開だなと一部思った。
例えば。金塊を隠した薪を燃やさざるを得なくなり、やむなく燃やした後、掘り出す場面。全部運ぶのは無理だから、運べる分だけ運ぼうとするも太平、又七が欲張る。重いのでフラフラになりながら道を進んでしばらくすると、残した金塊に未練があり、二人が戻っていく。追手に何を探していると咎められ、無言で会釈しながら距離を取って走り出す。追手が追いかけるが捕まらない。さっきまでフラフラだったのに、さらに重くなった二人に追いつけないというのは変だし、そもそも何を探してるんだと問いかけたら持ち物検査すりゃいいのに。追いつけるのにわざと追いつかない追いかけっこのよう。やっと追いついたところは三船の待つ場所で、返り討ちになるという展開。
この二人は良いコンビであり、のちのスターウォーズでのC-3POとR2-D2のモデルとのこと。
金の分け方でしょっちゅう揉めるのだが、ラストあたりで、金は手に入らず命からがら逃げだし、「これからは仲良くやろうな」と語りあってるところで、この後やっぱり金が手に入り、また揉めるんだろうなと思っていたら、やっぱりそうなった。