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スコルピオ [映画]

1972 アメリカ
01/09(火) 21:00 -
BSデジ 200|120分

アラン・ドロン とバート・ランカスターが主演
いまこの作品のデータを調べようと二人の名前で検索したら、「山猫」という有名な作品もこの二人の出演だ。
今作品はいくらか複雑でこの程度の複雑さで自分は値を上げてしまう。作品紹介文のあらすじは読んだのにも関わらず序盤はよくわからないまま進んだ。全部見終えて、最初の部分を見てようやく序盤の要人暗殺の場面の意味がわかった。
CIAを扱ったスパイもので、バート・ランカスター(クロス役)がCIAの職員だが知りすぎた男としてCIAから狙われる。アラン・ドロン のほうは、フランス人殺し屋・ローリエでCIAから汚い仕事をこれまでにも頼まれており、今回はクロスを狙う仕事を依頼されるという役どころ。ローリエはこれの成功報酬としてCIAに入れてくれなどと頼んだりもしている。二人はそれまでにも一緒に仕事をしている(冒頭、クロスがローリエに仕事を依頼する場面があり、その後要人の暗殺があり、それが依頼の件)旧知の仲であり、いくばくかの信頼関係もあるので、中盤では二人が落ち合い、CIAの言ってることは本当なのか確かめるというような場面もある。
クロスの妻がCIAにより(誤ってかもしれないが)殺されてしまい、クロスはアメリカに舞い戻り復讐する。その復讐を遂げたところで終わりにすればきれいな感じなのだが、話はまだ続き、ローリエの恋人が実はスパイであり、クロスともつながっていたということがわかるなどあったりして、ローリエがクロスを射殺。そのローリエも☆射殺されるところで終わる

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サムライ [映画]

1967 フランス・イタリア
12/30(土) 21:00 -
BSデジ 200|120分

アラン・ドロン主演。監督はジャン=ピエール・メルヴィル。
「1967年制作のフレンチ・フィルム・ノワール。アラン・ドロンが侍を思わせる暗殺者を演じ、後世の多くの作品に影響を与えた。また、ナタリー・ドロンの映画デビュー作品でもある」とのこと。
そうか、相当の名作だったか。
ストーリーとしては、一匹狼の殺し屋をアラン・ドロンが演じ、組織からも警察からも追われながらも、自分を抹殺しようとした組織のボスに逆襲するというようなありきたりの話。ただひたすらドロンを格好よく撮り続けた作品という感じ。影響を与えた作品に北野武の『ソナチネ』が挙げられているが、それはとてもわかる。主人公が組織に狙われながらも逆襲すると同時に請け負った仕事をも淡々とこなそうとする感じだとか、口数が少なく何を考えているかわからないところとか。
バーのピアノ弾き(ジャズ)、黒人の女性が出てくる。主人公の殺しの現場を見たが、それを警察に言わないというような役柄で。この女性、ピアノが弾けるのかどうかはよくわからない。手元が映る場面はあるが、それは別の人の可能性もあるし。多くはピアノの前に座った上半身が映っており、それだと弾いているようには見える。で、それはいいのだが、ラストシーンは、主人公が彼女を殺しに来る(仕事として)という展開。彼女が弾き始めるのはオルガン(それまではピアノだったがオルガンもやるらしい)。その彼女の前に主人公は立ちはだかり、「殺しに来た」というようなことを告げ銃を向ける。彼女は多少驚いたような表情に変化。このあたりで演奏がまったくぶれない。弾けているという設定もよいが、演奏が乱れるという風にしても良いかと。あまりに演奏が整いすぎてて気になってしまった。ちなみに、そこで主人公が銃を発射したかしないうちに、張っていた警察の銃撃に倒れる。主人公の銃を調べると、弾は込められていなかったというのが結末

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ONCE ダブリンの街角で [映画]

2007 アイルランド
01/05(金) 21:00 -
BSデジ 200|100分

見る前に解説を読んで、なぜかこの映画のことを知ってることを思い出した。それも公開当時に知ったのではなく、このブログをつけている時期、比較的最近、ネットでウィキを読んだという程度に知ってるという感覚。ブログを書くにあたって、各映画のことを調べる際に、関連項目、例えば監督や出演俳優、または解説に書かれているほかの映画への言及、こういったもののリンク先へ飛び、そこからさらに、関連項目を調べという風にネットサーフィンといった状態になることがよくあり、そういうことで、この映画のことを知ったような気がした。
で、なんの映画からこの作品へとリンクされていたのか、気になり、関係しそうな作品を探そうとこのブログを検索かけてみたりもした。割合の作品と同じ空気を持った作品(田舎町を舞台に素朴な音楽をテーマにした作品)は多く思いつく、作品名は思い出せないが、ある1シーンを思い出したり。で関連しそうな単語で検索かけたり。だけど、どうしても、この作品に行きつきそうもない。というのは、この作品のウィキ見た限り、監督や出演者のこれまでの作品リストを見ても、または「アイルランド」「ダブリン」なんかで検索してもそれらしい作品が出てこないのだ(今回改めてこの作品のウィキを見たら、大好きな作品「ザ・コミットメンツ」に今作品の主演のグレン・ハンサードが出ていることを知ったが、「ザ・コミットメンツ」を調べていてそのリンクでこの作品に来たということは記憶にまったくないのでこれは違う)。
で、結局なんなのか想像すると、たぶんこの作品、以前にもテレビ放送があり(多分、今回のように有料チャンネルの無料放送枠)、事前準備で、この作品について検索をかけて面白そうだなと記憶に残っているのだろう。そして、そのときに録画し損ねたか、なにかほかの録画とぶつかったか、まあそんなとこだろう。

作品内容はとても良いが、ウィキに書かれてるとおりの内容でそれ以上でもそれ以下でもないという感じ。ちょっと否定的に聞こえるかもしれないが、決して悪口ではない。ただいい作品だろうなと見始めたら、まあその通りでそれほど驚きはなかった。

あまり説明的でなく、話が進むのでちょっとわかりにくいところがあった。こういうことかなと想像しながら解説読んで、まあわかったけど。それは以下の場面(ウィキの「あらすじ」から)
①「"男"はロンドンへ行った元彼女(演:マルチェラ・ブランケット)のことを思い返し、「変っていく君に追いつけない」という "Lies" という曲を作曲する」
突然元彼女が出てくるところがよくわからなかった

「あるいは即興でそれぞれが演奏するパーティなどで歌い練習する」
これがなんのパーティなのか、「男」はそこで歌ってるのかどうか(顔がみんな似たような感じで見分けがつかないのと、「男」らしき人が歌ってるけど、パーティ会場に入ってきたとき黒い服だったのに、歌ってるときは白い服)

レコーディング場面、エンジニアの人が出てくる。レコーディング二曲目のところで、映像が「女」の家でエンジニアの人やバンドメンバーが集まってる映像になる。けどレコーディングは一晩なのではなかろうか。その後、「女」のうちに集まったという意味? いや、違うか、あれが「女」の家だとしたら、レコーディングが数日あり、その間にそういうことも行われたということ? なのだろう

「男」がストリート・ミュージシャンに声をかけ、レコーディングに参加してもらうという場面がある。そこでバンドのメンバーが「シン・リジィの曲をやるのか? 俺たちはシン・リジィしかやらないぜ」などという。そこに立ってるのはフィル・ライノットの銅像。彼のウィキを読んだときに、その銅像のことを知っていたので、ちょっとニヤリとしてしまった。ということはそのストリート・ミュージシャンが演奏してた曲ってきっとシン・リジィだったんだろうな。おれは詳しくないから知らなかったけど。
実はそういうやりとりがあったので、その人たちは雇わなかったのかと思ってたいたが、よく見れば、その人たちがレコーディングに参加している。まあ短い映画なので、そこらへんはその人たちを断るなど、無駄な場面はいれずにどんどん話が進むのだ。というより、シン・リジィへの敬愛も垣間見れてよいシーンだと思う


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カリフォルニア~ジェンマの復讐の用心棒 [映画]

1977 イタリア・スペイン
01/22(月) 21:00 -
BSデジ 200|105分

ジュリアーノ・ジェンマ主演のマカロニ・ウエスタン。といってよいのだろうか。ちょっとマカロニっぽくない。イタリア製作でジュリアーノ・ジェンマだからマカロニでいいか。内容的には普通の西部劇っぽい部分を多く感じる。
番組サイトの紹介文によると、日本未公開でテレビでは「復讐!新・荒野の用心棒」というタイトルで放映されたとのこと。では、今回の放映の際ののタイトルはなんなんだ、今回勝手につけたんかと言いたい。調べてみると、このタイトルでDVDが発売されてるからそれに準じているのだろう。
原題が「CALIFORNIA」で、これは主人公の名前(愛称かな)。で「カリフォルニア」だけでは物足りないと思ったのだろう、そのままでいいじゃんとも思うが、まあ確かに物足りない。で「ジェンマの復讐の用心棒」。テレビの時のタイトルから持ってきた感じか。内容からすると、復讐はあるけど、用心棒の要素は無い、というか薄いな。

南北戦争後という時代背景。ここからしてちょっとマカロニっぽくない。ジェンマ演じる「カリフォルニア」は北軍による武装解除の場で知り合ったウイリーと旅をともにすることになる。カリフォルニアは依然有名なガンマンであるがその素性をウィリーには隠し「マイケル・ランダム(名前を聞かれとっさに目に入ったタバコの名前をそのまま名乗る)」と名乗る。ので、作品内でウィリーや彼の家族と接しているときはマイケルであり、あまりカリフォルニアの名前は使われない。ただ有名なガンマン時代を知っているものが彼に接してくると「カリフォルニア」と呼び掛けられる。ウィリーは北軍に入った息子を探している男と諍いになり殺されてしまい、マイケルは遺品の勲章を持ってウィリーの故郷へ。そこで家族に受け入れられ、ウィリーの姉ヘレンとは恋愛関係に。マイケルとヘレンが街に買い出しに訪れた際、ヘレンが南部の賞金稼ぎにさらわれてしまい、彼女を助けるため、マイケルはその賞金稼ぎを追い、3人組のうち二人を殺し、ボスのウィテカーとは手を組む。なぜならヘレンを隠している場所を知っているのはボスだけだから。そして二人で組んで強盗をやらかしたりして、信頼を勝ち取り、ついにヘレンの居場所へ連れてこられ、マイケルの怒りが爆発する。という内容

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ヴァージン・スーサイズ [映画]

2000 アメリカ
02/08(木) 21:00 -
BSデジ 200|100分

ソフィア・コッポラの初監督作品
夜、お酒を飲んで酔っ払ったあと、録画ものを見ながら眠くなるのを待つ。酔っぱらっているので、まだ見ていない作品を本気見することはできない。だから、一度見たものの中から選ぶ。酔っぱらっているのでストーリーを追うのも面倒で、大抵音楽ものか、もう頭に入ってるような好きな作品の好きな場面を選んで見たりする。
昨日、ソフィア・コッポラの『ロスト・イン・トランスレーション』を見ていて、つくづく良い作品だなと思った。といっても冒頭の10分くらいだけだが。
で、そういえば、まだ見ていない録画一覧にソフィア・コッポラのものがあったなと思い今作を拝見。
なかなか良い作品。これで彼女の監督作品は「ロスト・イン・トランスレーション」、「マリー・アントワネット」と今作。3本目だが、どれも合格点には達してると思う。

5人姉妹の話でストーリー紹介文のところで、「姉妹のうちの一人が自殺し・・・」とあり、そういう話ということはわかっているからか、ミステリアスな雰囲気が底流にずっとある。最終的に5人とも自殺してしまうということもわかっており、それは紹介文にはなく、作品の序盤でわかるようになっていたのか、それとも、ウィキに「原作はアメリカの作家、ジェフリー・ユージェニデスが1993年に発表した『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』(早川書房刊)である」とあるから、それが目に入っていたのか、とにかく5人とも自殺することが薄々わかっており、だからこそのミステリアスな雰囲気だろう。ミステリアスな雰囲気が作中ずっと前面に出ているような作品とは違ってあくまでも底流に流れているだけで、それが尚のこと、不気味。
だたどうだろうなあ。最後まで見終わるとそういうミステリアスな雰囲気を描いたものとは言えないような感じ。中盤以降その雰囲気が薄れてきており、でも最終的に全員自殺するんだろ、と思いながら見ていたものの、結論的には、若い少女たち特有のわけのわからなさが自殺の原因としているような内容。その姉妹を近所の男の子たち4人が見守っており、そのうちの一人がその事件の25年後から回想するナレーションで話が進んでいくという形式で、20前の少女たちと少年たちの若さゆえの思考を描いた作品なのだろう。
5人姉妹がそれぞれ際立つように描かれてるかといえばそうでもなくて、最初に自殺するセシリア、その後の話をひっぱるラックスのふたり以外はその他大勢的な扱い。少年4人組のほうは名前さえよくわからない。物語の本体のほうには出てきていたのだろうか。

ちょっと前に見た「ザ・ウォーカー」でも使われていたアル・グリーンの「How Can You Mend A Broken Heart」がここでも使われている。
エンディングの使用楽曲クレジットを眺めていたら、その曲のライターがなんとなく目に入った。さらに見続けていくと、、一番最後に出てくる楽曲がビージーズで、その曲のライターとアル・グリーンの曲のライターが同じだった。アル・グリーンにビージーズが曲を提供していたのかと思ったら、実はこの曲、ビージーズがオリジナルでアル・グリーンはカバーなのね

変な演出が目に入った。中盤あたり。姉妹のひとり、ラックスがトリップ☆という男とつきあい始める場面で、トリップを見つめるラックスの目がキラリと光る演出があるのだが、そのキラリと光るのが記号というか模様を目のところに表示させるというもの。実写での光の当て方でやるのでなく、そういう方法を使うところにちょっと驚く。しかもそれが1秒に全然満たない一瞬であり、しかもあまり目立たない小さい模様。映像を言葉で説明するのは難しいが、「スコット・ピルグリムVS.邪悪な元カレ軍団」で使われていたような、実写映像の上に擬音語を表示させる的な、マンガっぽい手法。
そういやそのちょっと後、トリップがラックスをダンスに誘い、両親が4姉妹全員を男4人組で合同デートならと承認され、家に迎えに来る場面、トリップがラックスと向き合う。カメラはラックスを顔から下へ。太もものあたりで止まる。と、円形でそのスカートの中身が見える(中の下着にトリップと男の名が書かれている)という演出がある。これ、スカートが捲れるとかじゃなくて、円形の部分だけスカートの中はこんな下着になってますよと映像を合成しているということ。これなんかもマンガっぽいか。
それをもとに考えると序盤で5人姉妹が登場する場面、一人ひとりがストップモーションになり、そこへ手書きのポップな文字で名前が表示されるという風になってた。これもマンガっぽいか。
なんでこれをツラツラと書き連ねているかといえば、強烈なものではないが多少の違和感を覚えたのだ。なんというか作風に合わない手法というか、作品の持つ世界観と合っていないような。というのも基本的に実写映像だけで通していくような作品に思えたので。
さて、ここからはこの作品についてから離れる。
「作品の持つ世界観」とか「作風に合わない手法」とか書いた。これまでもそういうようなことを書いたことあるだろうし、そういう風に思うことはよくある。のだが、これって自己矛盾でもある。だって「作品の持つ世界観」の「作品」というのはその「作品」の始めから終わりまでであり、その中にその手法は使われているんだから。
でもまあ言いたいことはわかるだろうと思う。例えば「七人の侍」に「ワーワー」という擬音語が変な字体で表示されてたりしたらどうよ、ってことだ。いや、これも違うな。「七人の侍」にはそういう手法は使われていないんだから、「もし」それが使われていたら、「作風に合わない手法」であろうし、逆に「もし」ほんとうにそれが使われており、そういう作品として仕上がっていたら、それは上記の自己矛盾にぶつかることになるのだろう

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リンゴ・キッド [映画]

1966 イタリア
2/11 スターチャンネル

マカロニ・ウエスタン
セルジオ・コルブッチ監督、主演はマーク・ダモン。
番組サイトより「作品解説」と「ストーリー」--
セルジオ・コルブッチ監督による痛快マカロニウエスタン。黄金の銃を持つガンマンが、無法の限りを尽くす悪漢一味と対決。
“マカロニの巨匠”セルジオ・コルブッチ監督が、『続・荒野の用心棒』と同年に手掛けた痛快マカロニウエスタン。西部開拓時代の無法者リンゴ・キッドをモデルに、悪漢一味との対決を、ふんだんなガンアクションを交えて描く。黄金の銃を持つ主人公の活躍や派手な爆破シーンも見どころ。主演のマーク・ダモンは後にプロデューサーに転身し、『U・ボート』『モンスター』など多数の作品を送り出して確固たる地位を築き上げた

ストーリー
テキサスとメキシコの国境。この一帯で略奪や殺りくなど無法の限りを尽くすペレス兄弟には、多額の賞金がかかっていた。そこへ現れたガンマンのリンゴ・キッドが、愛用の黄金の銃で兄弟の2人をたちまち退治。だが、町の保安官は騒動の元になるリンゴに銃の携帯を認めなかった。兄弟に狙われたリンゴは、隠し持っていたダイナマイトで再び応戦。この騒動で牢に閉じ込められたリンゴを、兄弟の生き残りであるジュアニトが狙う…。
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「リンゴ・キッド」で検索すると、「アメリカ西部開拓時代のガンマン」と実在の人物が出てくる。本編見ていても「リンゴ・キッド」は出てこないし、なんでこのタイトルなんだろうと思ったが、上記のとおり。ちなみに原題は「Johnny Oro」(主人公の名前、oroはイタリア語(とスペイン語)で金(ゴールド)という意味らしく、主人公は金に魅せられており、拳銃も金)。
上記「ストーリー」に出てくる「リンゴ・キッド」及び「ジュアニト」は本編の字幕で違う名前(それぞれ「ジョニー」「ホアニト」)になっている。放映するのだから、統一させればいいのに。
主人公ジョニーはジョニー・デップのような顔つき、常に格好つけてるキャラクターでまたどんな場面でも余裕ある態度を見せており、それゆえ、主人公がピンチになってハラハラするというような場面はない。ほかのマカロニ・ウエスタンでもそういうキャラクターは見たことある。
敵役のホアニトは悪辣兄弟の末っ子。なんだか頼りない感じで登場。ジョニーに手玉に取られるような場面も序盤にあり、どっちが主役だか。つまり、ジョニーのほうも悪そうなやつで、序盤に手玉に取られた頼りないやつが成長する話にも見えたということ。実際はホアニトが相当な悪だということで最終的に戦いあう展開なのだが、相当な悪という部分の描き方がちょっと足りないかな。終盤でバンバン殺しちゃうところなんかがそうか。
ジョニーは旧知の保安官に武器を持っていたということで牢に入れられてしまい、そこへアパッチと提携を結んだホアニトの大群が押し寄せる。
町の人間は全員逃げてしまい、対応するのは保安官、その嫁、そして牢に入っていた初老の男(これは西部劇、いやそれに限らずだが、よく見るコメディリリーフ的役割、牢が住みやすいのか、保安官から出されそうになると窓を割って、勝手に入牢していたりする)の3人(ジョニーは牢の中)。これ、簡単に全滅させられそうなものなのに、一向に襲撃は成功せず、どんどんホアニト側のアパッチがやられていく。
そうこう長引いているうちに、ジョニーは保安官に言って、牢から出してもらい、実は前夜に準備していた(こうなることを予期していたのか)ダイナマイトを入れた箱を爆破させ、相手を全滅させる。この爆破場面は結構な迫力。そして、その箱が爆発、鉄塔が倒れて近くにある爆発物がいくらか連鎖して爆発するのはいいけど、見てると、全然関係ないところにみえる場所もどんどん爆発しだすのは笑ってしまう。

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荒野の一つ星 [映画]

1967 イタリア
2/10 スターチャンネル

ジュリアーノ・ジェンマ主演のマカロニウエスタン。可もなく不可もなく平凡。
ここ何作品か、集中力がなくて途中で休憩入れてると書いたが、これはほぼ通して見た。こういうつまらないというか、肩に力を入れなくて良い娯楽作品だと、見れちゃうもんだな
マカロニウエスタンって変なもんで、大して面白いと思っているわけではないのだが、必ず録画し、録画すると割と早めに見ている。

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本能寺ホテル [映画]

2017 日本
02/10(土) 21:00 -
フジテレビ|145分

かなり最近の大衆向け話題作。ということでこういうのは地上波での放映も大々的に宣伝して行われる。今回は綾瀬はるかの最新作公開にかけた彼女の主演作特集だそうだ。
こういう大衆向けの作品は頭を使わないで、なんとなく眺めてるだけでも、それなりに興味を惹かせる作りになっている。
この作品の概要は「『プリンセス トヨトミ』の鈴木雅之監督と綾瀬はるか・堤真一が再びタッグを組んだ」作品とのこと。「『プリンセス トヨトミ』は原作が万城目学だが、こちらはオリジナルストーリーとのこと。
綾瀬はるか、胸が強調されてる衣装で、気になって仕方ない。
堤真一が織田信長、濱田岳が森蘭丸を演じている。最初の登場シーンでどちらもちょっと軽すぎに見えたが、これ作風に合わせていただけだろう。時代劇の重厚さみたいなものは排除して、いくらかコミカルな作品であり、これはこれでよいのだろう。
ただそのわりにコメディ部分が弱く、さらに、テーマらしきものも弱い。つまり現代から本能寺の変前日へのタイムスリップ部分は良いとして、綾瀬演じる女がそれによって何かを得るみたいなものが作品の最後に出てくるのだが、それが弱い。むしろそんなとってつけたようなストーリーはなくしてしまい、そのタイムスリップだけを描いたらどうなっていただろう。



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31年目の夫婦げんか [映画]

2012 アメリカ
01/29(月) 21:00 -
NHKBSプレミアム|101分

主演、メリル・ストリープ(ケイ役)、トミー・リー・ジョーンズ(アーノルド役)
主演二人が初老の夫婦。ケイのほうは夫婦生活、特に性的な意味で、特に性的な意味で、物足りなさを感じ、カウンセリングを頼む。そのカウンセリングでのあれこれが描かれ最後はハッピーエンド。
初老、倦怠期にある夫婦の性生活となるとコメディテーマとしては最良のものであろうし、中身は短めでだるいところもなく、主演二人も当然のごとくうまいし、面白く作られてる。のに、集中力が続かず、数回休憩を入れた。なんでだろうか。
まあ、ひたすらカウンセリングの場面とそのアドバイスを受けた夫婦二人のその後という繰り返しで単調といえるかもしれない。
また、コメディテーマとして最良と書いたが、その反面、一般的イメージも同じだろうが、初老女の性欲具合は気持ち悪くあさましいとも感じる。ケイのキャラクター設定にそれを感じ、また、言いがかりに近いがそれを演じるメリル・ストリープの最近報道されるアレコレ(反トランプ発言をして、トランプからツイッターで罵倒され、それをなにかの賞セレモニーの時司会者に取り上げられ嬉々としていたとか、metoo運動賛同の黒ドレスだとか)がそれに拍車をかけてるような気がする。

後半、夫婦がセックスへ入ろうかという場面でアーノルドが用意してあったステレオのスイッチを入れると、アル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」が流れる。
そういや、これの前に見た「ザ・ウォーカー」でもアル・グリーンの歌が使われていた。どちらの場面も作内の人物がその音楽を聴いているという使われ方
さらに、ザ・ウォーカーの最後行き着く場所がアルカトラズだったが、今作でも、カウンセリングを受けに行った場所が閉鎖的だとしてアーノルドがまるでアルカトラズだと言ってる場面があった。といって、この2作が似てるというわけでは全然ない。

最後のクレジットのときに2曲かかる
レニー・クラビッツとヴァン・モリソン。これ両方とも知ってる曲だったからか、かなり効果的に思えた。
本編が終わりストップモーションになったところで、レニーの曲「It Ain't Over Till It's Over」(それが終わるまでは終わらない、という感じか、作品に合っている)。クレジットは左4分の1くらいが使われ、それ以外の画面でまだ作品は続く。第二の結婚式という場面で、海辺で二人が誓いの言葉を交わし合い続ける。それが終わったところで、ヴァンの曲「 Bright Side of the Road」になり、夫婦二人と参列者(多分、夫婦の子供、その連れ合い、孫たち)のダンスシーンになる。

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ザ・ウォーカー [映画]

2010 アメリカ 吹替版(大塚明夫)
11/22(水) 00:00 -
BSデジ 191|135分

録画したもののあまり見る気にもならず、といってもどういう映画かも知らなかったのだが、ようやく見たのだが、非常に面白く見た。しかしこれはまったく個人的事情なのだが、一度に見ることができず、数回に分けての視聴になってしまった。自分に集中力がないのも原因だけど。面白い作品だったので集中して一度に見たかった。

序盤に二つの驚きが。ひとつはアル・グリーンの曲がかかったこと(主人公がウォークマンで聞く)。聞いたことある曲(多分とても有名な曲)ではあるのだが、自分はそれほどよく知ってる曲でもないのだけど、なぜかイントロの音でアル・グリーンを思い起こしていた。なぜだろう。字幕をつけて見ていたのだが、そのとき曲名が出たからかもしれない(曲名見ても知っているわけではないが。ちなみに曲名は「How Can You Mend A Broken Heart」)。
ふたつめは、トム・ウェイツの出演。意外ではないのだろうが意外。といおうか、彼が出ているのだったら、それを見れるだけで自分にとっては価値ある。吹替版で原語は入っていないので声が聞けなかったのは残念。ちょっと声が合っていないかなと思った。全般的に声が合ってない感じはした。

主演はデンゼル・ワシントン。
原題は「The Book of Eli」。Eliは主人公の名前イーライ。The Bookは聖書だと思う。ウォーカーはイーライがその世界でそう呼ばれているあだ名。
話自体は全然違うが星新一のショートショートで文明の滅んだ世界で「ホン(本のこと)」を探す話があったと思うがそれを思い出した。イーライの持つ「本」を奪おうとする一団との闘いというのが本作の概要。でその「本」が作中で「聖書」だとわかってくるというような内容。
舞台は終末戦争後、(核戦争があったというようなことは描写されないがたぶんそういうことも起き)文明が滅び、生き残った人間たちは弱肉強食の論理の中に生きているというような世界観。ここらはおれが思い出したのは星新一、小松左京、筒井康隆の描くようなSF小説。それだけに限らずSF小説で常に描かれるようなテーマであろうし、SF小説だけでないな、漫画でもゲームでも度々使われる世界観だろう。
そのような中、聖書を持ち神の声に従い西へと向かうイーライ。立ち寄った町でその聖書を奪おうと狙っている男と遭遇し追われることになる。その街で出会った女はイーライについてきて旅を共にすることになる。
ストーリーはシンプルで上記だけに絞られており、イーライは最終的に敵を払いのけ、目的地にたどり着く。払いのけ、と言ったが、撃たれても死なないというイーライは神に守られた存在でそこらへんでハラハラする感じはない。
目的地とは、文明を復興としている活動をしているアルカトラズにある一団で、イーライはそこにたどり着き自分が聖書を彼らに伝えることが使命だったことを知るという結末でそこらへんで流れる音楽は神々しい。ダニエル・ラノワプロデュースのネヴィル・ブラザースのイエロー・ムーン(アルバム)あたりの音を思い出した。たしかあれも神をテーマにしている。
大雑把なまとめだが、イーライは終末戦争後のキリストなのだろう

ここまでは見終えての感想なのだが、いくつかのサイトでこの映画の評を読んだが、えーっと思ってしまった。聖書が点字で書かれており(ここはわかった)、つまりイーライは目の見えない設定なのだと。せおして常に読み続けていたので全部を覚えてしまい、アルカトラズで口述で伝えたということなのだと。そしてあるサイトではイーライが目の見えないという設定はわかったが、さらに映画のエピソードとして、「イーライは目が見えないという設定をラストで明かそうとしたが、それをするとそれまでの作品内容と矛盾していしまうから、イーライが目の見えないという設定はなしにした」というものがあるとのこと。つまりイーライは目が見えないのではなく、必死で点字を勉強して聖書を読んでいたということ。
うーむ。目が見えていなかったとは見終えても全然気づかなかったわ。

色合いがとても特徴的。なんという技法かわからないが、モノクロのようなカラーという印象。数年後この映画を思い出すとき、モノクロ映画だったと記憶してそう。よく見りゃカラーなのだが、その色調が抑えられており、派手な光沢は抜けたセピア色とでもいうのか、そんなトーンで統一されている。
映像の格好良さに酔う作品という感じがした

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