So-net無料ブログ作成
検索選択

談春、たけし、高田文夫、談志 [落語]

今日のビバリーヒルズで、談春の独演会のことを話していた。30周年だかの記念イベントで5夜連続だかの公演を国立演芸場でやっているらしい。最後の日に高田文夫が行ったところ、たけしが談春の弟子「梅春(ばいしゅん)」を名乗り出てきて、野ざらしの前半を披露したとのこと。後半は覚えてないらしい。そういえば鶴瓶とのテレビ番組でもたけしはそれを披露していた。
その後高田氏も舞台に上げられ3人でトークk。さらに今田耕司も呼ばれたとのこと。
談春の赤めだかがドラマ化され、談志役がたけし。その縁もあってかたけしと談春にいくらかつきあいができたのだろう

高田氏はちょうど20年前の「談志五夜」のことを話していた。たけし、勘九郎(18代勘三郎)、高田文夫、そして談志が舞台で対談したときのこと。
これ俺見てたんだよね。そしてよく覚えている。というのも、見始めたばっかりで一番熱中していた時期。熱狂といってもよい。今思うと談志の絶頂期にも思えるが、それが重なったのもいい思い出。
自分の好み(ブラックな笑いが好み)から言うと落語というのも聞かねばならん、談志というのは面白いらしい、というようなことをずっと思っていたが、いざ落語をテレビラジオで接しても、枕はいいんだけど本編に入ると何が何やらまったくわからず、そうそう、上岡龍太郎のex大阪もよく見ていて、そこで談志が出てきて「品川心中」やったのも覚えてるが、やる前にノーカットで見せたいとの最初にCMを続けて入れたということを覚えてる程度で落語の内容はさっぱり。
そして「落語のピン」をどういう動機か、まあじっくり見てみようということなんだろう、録画して、繰り返し何度も見てるうちに、ようやっと何をやってるか、面白さがわかってきた。そこから落語への熱狂となる。ラジオでの番組もよく録音して、柳好「野ざらし」と志ん生「うなぎの太鼓」、あともう一本確か金馬と志ん生のリレー落語「お化け長屋」だったかな、そんな番組があったのも覚えてる。古い録音の古典落語というのは、落語のピン以上に内容に入り込みづらかったのだが、その番組での特に前者2本は一生懸命聞くと、内容が理解できてきてそしてそれが何ゆえ絶大な人気であったのかがよくわかった瞬間はまさに目が開いたというような気がしたもんだ。
落語のピンの録画とテレビラジオの落語番組の視聴に明け暮れていたある日のこと、これもよく覚えている、ネヴィルブラザースが出る野外コンサート、豊橋だったと思うが、そこでの帰り、新宿について西口地下をフラフラしていると、寄席の広告があり、談志の名前があった。
ふと気付いた。ああ、切符買えば談志って見ることが出来るのか。そう落語というものがあまりに縁遠く、高座を見に行くということが出来るということに気付いていなかった、つまりテレビラジオで視聴するものとしか認識していなかったのだ。
さっそく、そのポスターの公演に行ってみた。
それは変な公演で、確か8月だったか国立演芸場、10日間、談志がそのうち7日間くらい出演、立川流、落語協会、落語芸術協会からの出演者という豪勢なもの。好楽も出てたから、円楽一門からの出演もあったか。
その談志が出る初日、自分は開園時間にちょっと遅れて到着、劇場に入ると志らくが出ていた、湯屋番だったかなあ、まあそれを見た瞬間からとりこになってしまった。その日は中トリが円丈、トリで出てきた談志は「円丈なんてので笑ってるの見てがっかりした、おれは客をある程度信頼してるんだ」なんてことを言ってたな。
その日、談志は客に向かって「なんかやってほしいのある」と問いかけ「らくだ」という声に、「じゃやってみるか」と。。。
自分は遅れて行ったこともあり立ち見で頭がボーっとしており、そしてらくだは聞いたことない噺で、そのすばらしさ(談志が演じる「らくだ」、そして「らくだ」という落語自体という2つの点)理解できていたは定かでない。
演じ終わり、なんか言ってたなあ、その公演が貞丈さんの口利きでできたとか、寄席のやつら困ってやがるだろうなあとか。
結局、その談志が出る日のほとんどを見に行くということになる。最終日あたりは中トリ、文治、トリ談志というような番組だったと思う(昼夜公演で中トリとトリが交代になってたかもしれない)。
文治というおじいさんも面白いなあと思いながら見ていた。
文治はこの公演で二日間見たはず。最終日とその前日だったろう。枕「寄席というのは10日間やるものでした出る人もほとんど同じ。でありますが明日のほうがちょっと面白い」なんてことを言っていた。そして楽日のほうでは「来月の最初の10日間もアタクシはここへ出るのですが、そっちのほうがもうちょっと面白い」なんてことをね
ああ、そういや独楽の柳女楽なんて人も見たなあ。トリの談志の前で。「さて談志さんももう楽屋入りしておりますが・・」なんて言葉を挟んでいたように思う。

国立演芸場って今も同じように公演やってるのかなって検索してみたら、冒頭に書いた談春の公演のこともわかった。
立川談春 三十周年記念落語会『もとのその一』2015年3月25日(水)~2015年3月29日(日)

その後月一回の「談志ひとり会」を見に行くようになり、また談志の出るもので行けるもの(都内の公演)ほとんどすべてを見に行くようになり、談志五夜も全部行った。
昇太が「談志師匠とわたし」という作文を読んで爆笑を取っていた。
ケーシー高峰がすごい存在感。出番の倍くらいやったと思われる(自分なりにこの人の出番はこうで、次の人はこうでと予想したものから測ったもの)。後の人が時間を短くするなど調整してトリは予定通りになるのかと思ったら、そういうのが一切なく、談志の登場は他の日と比べ15分ほど遅くなった。あまり覚えてないが記憶では、8:45から30分くらいが談志の出番と思われる感じだったが、この日は9時スタートだったか、談志も他の日と同じくらい演じた。談志は冒頭「ケーシーのやろう、どうでもいいけどえらい長くやりやがったね。いや、べつにおれもそれで短くするとかないし、劇場のヤツがなんか言ってきたら「もう出ない」で終わりだから。それにしてもこういうことで逆にケーシーの凄さがわかると思うけどね」なんてことを言ってた。
談志五夜って談志自身(談志の事務所)主催ではなく国立演芸場が主催だったのだろうか。自身が主催なら「もう出ない」もなにも、劇場借りてるだけということなはずだけど。まあいいか
千代若・千代菊のときは談志が出てきて、「師匠アレやってよ」みたくリクエストした。駅名を織り込んだ歌かなんかだったと思う。それがうまく歌えず、談志は「まあいいやまあいいや」なんて苦笑いしながら出て行ったのを見て「談志師匠をしくじっちゃった」といじけてる姿が可笑しくて。
3日目だったかな、ポール牧がトリ談志の前に出た。相撲の漫談をして、最後に「僕が夢中になってるのは相撲ともうひとつ、名人談志の落語です」なんてうまくまとめて舞台から去っていき、談志の登場「ポールのやつがあんなこと言いやがるから、それなりのものやらなくちゃならなくなった」などとこぼす。
確かこの日は「よかちょろ」1日目が鮫講釈、2日目は「「二人旅」だったかな
4日目、トリ前が古舘伊知郎。その前に出てる人なんかも、談志が来てないとか二日酔いがすごいとか言ってたっけ。古舘「談志師匠楽屋入りしましたが、二日酔いで多少時間が必要です。それまでの間、合図来るまでやらさせていただきます」みたいなこと言ってた記憶が。
そして出てきた談志、お辞儀したと思ったらそのまま倒れこみ。昨日は「ポールとジミー(時田。確か出演してたた、談志も舞台上がって歌ってた記憶がある)で飲みに行って、こいつらは何人なんだ」なんてこと言いながら、その後「勘九郎のうちへ行ってさらに酒飲んで」などと言い、「今日は落語できないからこいつを出す」と勘九郎を呼び寄せる。「一緒に謝らさせていただきます」と勘九郎。
そしてさらに「もう一人呼んでるんだ、見世物を。片目の障がい者出て来い」みたいな紹介で、たけしが登場。いつものようにコケたりしなが、客席に背を向けてお辞儀したり。開口一番「なつかしいなあ」と。
たけしがバイク事故を起こして復帰直後くらいのタイミングなはず。
3人揃ったものの会話が弾まず、というか仕切りがいない(談志が普段ならやるんだろうが何せ二日酔い)ということで、談志が「高田出て来ーい」と楽屋の高田文夫を呼んで、4人の対談。
高田文夫は「立川藤志ろう」としての出番もあったがこの日ではなかったかもしれない。まあ5日間楽屋につめてたんだろう。あとで読んだ話だと、談志が「たけしに会いてえなあ」と高田に前日言って、一緒の番組があったたけしを高田文夫は引っ張ってきたとのこと。
談志はもうフラフラで、中央には談志以外の3人、談志は舞台上手脇でだらーとしている始末。時折話につっこみを入れたりしてたか。それを高田が「やっぱり仲間に入りたいんだ」と茶化したりね。
ところがこんな豪勢な組み合わせながらも、談志落語に夢中だったおれは、つまんねえな、談志落語やってくれよって心の中で思ってたんだけど。そういや、この公演のときか、別のときか、公演が終わって帰るとき、少女が興奮して感想を喋ってたのを覚えてる「ロックコンサートよりすごい」みたいなこと。気持ちとして非常にわかるなあって思った
それを察してか、いやそんなことないか、たけしが「師匠、落語やらなくていいの、お客さん怒ってるよ」談志「放っておきゃいい」なんて会話があったか。結局3人がはけて、談志は残り、「証明落としてくれ」と、少し暗くなると、「いや、全部だ」と客電を全部消してシモねたの小噺を披露。医者が姫を診察するやつ。「ここですか」「もっと下よ」というやつね。
それを終え、下がっていったが、客が帰り始めるとまた舞台袖に来て「明日はちゃんとやりますから」なんてこと言ってた。
そして最終日、見事な「黄金餅」
いやあしびれたなあ。あの5日間

この94年から95年くらいの談志については見始めたばっかということもあって、ところどころをよく覚えている
浅草談志の会なんてのがあって、5656会館が会場。談志は「この会場やりにくいんだよな」なんてこぼしていたが、いい高座ばかりだったのを覚えている。
最初に見たのは94年11月だったか。前日にひとり会があり、中央区の中央会館だったな会場が。国立演芸場が改装かなんかだったのだろう。12月のひとり会はマリオンだった。
そのひとり会、高座に向かって写真を向ける人がいて、それでちょっと揉めて「あとで楽屋来いよ、いくらでも撮らせてやるから」なんて言ってたな、談志は。で「こういうのでもうキれちゃうんだよ(緊張感が)」とやりづらそうにしていた。演題は「文七元結」。終わってから、「明日は浅草か、どうせ大したことないからこなくていいいよ」なんて言ってた。浅草は「富久」。いい出来だったな。半鐘がなる場面で、そとで消防車のサイレンが聞こえたのが記憶にある。
12月のひとり会では「風呂敷」を。なんかとても変な下げでとっちらかった感じになってた。変な下げというか意味がわからない感じ。そして談志は「これを年末の落語のピン(スペシャル番組)でやろうと思ってたけど、こりゃだめだな」と言ってた。
番組放映を確認してみると「その風呂敷破れてるよ」「こりゃいけねえ、でもおれがどうやって逃がしたかはわかるだろ」「ああ、あんまりおめえの演じ方が上手いんで目の前にに見えたようだったようだよ」というすばらしいものになっていた。
この風呂敷を翌年の1月だったかなあ、2月だったかなあ、に見ている。日航寄席という飛行機で流す落語を収録する公演があった。場所は浅草木馬亭、無料。談四楼が出ていたっけ。その次が馬風、そしてひろし純子、トリが談志。
談志はマクラというか漫談を延々やってた。飛行機のブラックジョーク連発、やり終えて「ここまでは全部使えない」なんて言ってたな。そういや客から「飛行機でシャレを」なんてお題が飛んで「う~~」と苦しんだのを見て「客が「すまん」。談志は苦しんだ挙句「飛行機が故障してパラシュートで降りてきたこところが実家「おっかさん(落下傘)ただいま」なんてのはどう?」なんてのを言ってたな。
あと、わりと多くやってたネタだけど、「おれは嫌われてるけど、手塚先生、あの人は天才です、その天才手塚治虫に「談志さんはいいんです。大丈夫です」って言ってもらってたんだ。世界中の全部に嫌われたって何するものぞ、手塚さんがおれの味方だ、どうでえってなもんだ。。。手塚さん今頃天国でどう思ってるだろうねえ「談志さん、おれそんなつもりで言ったんじゃないんだけど・・・」とかね」
手塚さんに鉄腕談志のイラスト色紙をもらったことなんかも話してたかもしれない。
さて、その風呂敷、落語のピンと同じようにやったのだが、落ちでとちる。そもそもこの落ちどれが完成形なのかイマイチわからない、今手元に動画や資料がないので。
「目の当たりにした」「目の前に見えた」ここら辺が正しい言い回し。
で、この日、その二つの言葉がごっちゃになり「目の当たりに見えた」というようなことを言って、「アババババ」みたくなってしまい、やり直すことになった。ところが二回目も同じような失敗。ここで馬風が袖から出てきて「指一本立てて「もう一回」と。もう一回やってうまくいった。
「テープならうまくつないでくれれば名人級にもなる。昔、語り口がどうにもスローな師匠がいて、録音したのを早めたら素晴らしい名人になってた」などと笑い話を落語を終えて話していた。
終焉後浅草をブラブラしてたら、馬風が浅草演芸場にに入っていったのを見かけた。「ヨッ」という感じでスタスタ入っていってしまった馬風を見送りながら演芸場前の呼び込みの人が「あれ馬風師匠だ、今日出番ないはずなのに」と話していたのを思い出す

もうひとつ浅草談志の会の思い出。これは4月。談春が出ていた。このときのマクラが面白かった。
当時はオウム事件の最中。この日新宿でテロがあるという噂で厳戒態勢が取られていた。
談春は夜の浅草の前に昼に新宿厚生年金会館で「志ん朝・小三治二人会」に二つ目として出ていたのである。
「なんでおれが「志ん朝・小三治二人会」なんだ」「新宿で地上に出たら、警官がずらっと並んでて人がまったくいない。そこを着物をまとめた風呂敷持った男がいくんだから怪しまれますな」
※追記
先日これまた「ラジオビバリーヒルズ」でイベントの録音を流していた。たしか高田文夫が司会をやったイベントだったかで「白鶴寄席」だったかな。そこで白鳥の部分が流されていたのだが、その内容が「志ん朝・小三治二人会」の思い出。自分の記憶でも上記談春が出たそれにも白鳥(新潟のころ)が出ていたように思う。前座が新潟、二つ目が談春という扱いだ。結構志ん朝師匠には可愛がられていて、その会にも抜擢されたのだが、そこで時蕎麦かなんかを演り、麺を打つ場面だかで座布団を丸めて麺を描写したんだかめん棒を描写したんだか、そういう落語を演って戻ったら小三治が座布団を変えろ、あんな高座におれは出られないと激怒していて、誰があんなの呼んだんだと言っているそばを知らぬ顔ですまして志ん朝がすり抜けていった、なんて話。
録音が終わったら高田文夫が妙に焦って「ここ流しちゃだめなのに、なんでよ」と言ってたがなんか拙かったのだろうか。 ※追記ここまで
「なんとか志ん朝・小三治両師匠に言ってやろうと思って「談志に言付けありますか」って言おうかと思って」「志ん朝師匠が入ってきて、「おはようございます」と挨拶すると「よー」と声をかけスーっと行ってしまわれた」「これはなんとか小三治師匠には、と待っていた。小三治師匠が来たので挨拶もそこそこに「談志に言付けはありますか」と聞くと目を白黒させていた」
「浅草という街はいいですね。いつもなにも変わらない。新宿はあんなにぴりぴりしてるのに。馬券の販売場行けば、「6番が来ればよかったのに、来るはずだったんだよ」って男がブツブツ。これ同じ人が同じ場所で毎日言ってますからね」
このときじゃなかったかもしれないが、志ん朝さんについての談春の漫談。後にエッセイにも書いてるかもしれない。「師匠の談志に飲めと言われて、家で酒を飲まされた。さらにこれ飲めと。これが催眠剤。そんなの飲んだことない人には利きますね。もう酒と一緒でべろべろになってしまって。で談志に絡んだんです。「なんで志ん朝師匠の落語はダメなんですか。志ん朝師匠の落語すごいじゃないですか」って。したら談志がこれまでにないくらい優しい口調で丁寧に話してくれてましたね。自分(談春自身)の醜態にびびったんでしょうか。その説明は覚えてないですけど」
談志は開口一番「オウムがなんかやるって話だけど、今日はやらない、大丈夫。でも7月8月が危ない、毒ガス7月8月ってね」「これ先代馬風師匠のシャレ」爆笑だったな

談春といえば、真打昇進のとき、おれ見に行ってたかなあ。「風呂敷」を得意にやってたのを覚えてるんだけど、「ひとり会」の前座でやったやつかもしれない
談春の真打昇進のための公演も記憶では国立演芸場で5回(月に一回)連続でゲストを呼んで独演会。談志・小さん・小朝。最後が再度談志だったか。ひとり失念してるな。
その最後は行ったような気もするが、どうだったかなあ
真打昇進が決まったあと、池袋演芸場で立川流と落語芸術協会合同の日があった(余一会)。その昼だか夜だかのトリが談春で「風呂敷」をやってて、また「風呂敷」かって思ったのを覚えてる

いま、たけしについて調べたら、94年8月2日に事故。95年3月4日が復帰とのこと。そういえば、先に書いた夏の国立演芸場での公演のとき、談志が変な扮装で登場して「いま、所の番組にたけしがいなくなっちゃったから出てきた」とか言ってたのを思い出した。この事故の直後だったんだな

ざこば「文七元結」 [落語]

昨日NHK「日本の話芸」にて放映(再放送)。今現在はテレビで放映されている落語番組は一切チェックしていないのだが、録画予約を行ってる際この番組のタイトルが目の片隅に入り、興味を持ち視聴。
「文七」は江戸前の落語の最たるものといえ、それを上方落語の典型ともいえるざこばがどうやるのかという興味、というより、なぜそのような似合わないものを手がけるのかという疑問のが大きかったが、とにかくそのような気分。
ざこばと談志の縁から、談志のやりかたを踏襲しているのであろう(ざこばの天災はその典型だと思った)と予想した。
中身はただ上方言葉、地名に置き換えだけというもの。ラスト「ここから文七元結が生まれた云々」というのはいくらか弄るかと思ったが、それもそのままであった。
放映時間の関係か、お金をもらった文七が主人にそのお金を渡すシーンはカット(演じたけど放送局がカットしたのか、ざこばが演じていないのかよくわからないが見た限りでは後者)。普段はやっているのかどうかはわからない。この場面は笑いの起きるシーンで見てみたかった。
最後の左官屋がお金の返却を断るのをおかみさんがもらえと促すシーンも談志のものでは大層笑いが起きるシーンであり、ざこばもそのままやるかと思いきや、同じようなシーンはあったが、到底及ばず。
また、地の語りの場面とくにラストで語るところではピシッと筋の通った語り口にして〆るのが人情噺では多いが、ここではあまりピシッとしたものではなかった

談志一周忌 [落語]

今日は談志師の一周忌です。
それに合わせてというわけでもないのですが、数日前から連続で久しぶりに談志の落語動画を見ました。
見たのは「古典落語特選 ①~⑤」
内容は
古典落語特選① 『ずっこけ』 『居残り佐平次』(いのこりさへいじ) 2001/6/28 京王プラザホテル
古典落語特選② 『代書屋』(だいしょや)『つるつる』 2001/7/23 京王プラザホテル
古典落語特選③ 『芝浜』(しばはま) 2001/12/21 読売ホールにて撮影
古典落語特選④ 『松曳き』(まつひき)『野晒し』(のざらし) 2002/2/15 中野ZEROにて撮影
古典落語特選⑤ 『子ほめ』(こほめ)『粗忽長屋』(そこつながや) 2002/9/5 東京芸術劇場
つべに動画が上がっていた。
16日に⑤、17日に④、18日に①、19日に②、本日20日さきほど③を見終えた。③は実際会場に行って見た。志ん朝師が亡くなって2ヵ月後です。私が落語を会場に見に行ったのは、これの後2002年5月の横浜にぎわい座「談志5夜、不完全落語会」に行ったのが最後です。この5夜は全部見ました。

そういえば、談志が亡くなった日は2011.11.21で発表されたのが23日だった。あとで考えてみると、21日につべに上がっていた「談志が帰ってきた夜」の動画を見ていたんだよなあ。

2002年以降談志の高座を見に行かなくなり、関心も薄れていたが、時折テレビ(MXなど)で見たり、ラジオ聞いたり、ネットで情報を見たりしていたが、亡くなる2,3ヶ月前くらいから急速に気になりだして、唯一の談志の動静がわかる週刊現代の連載を注視していた。あの連載は、年老いた老落語家の愚痴めいたもの、そして何度も聞いたことのある話ばかりで、週刊誌内の読み物としての水準としてもどうかと思えるものであったが、談志だからということで許容されてるものだったのだろう。また、世間の多くの人の目にも触れない世間の片隅での活動に見えた。最後の数本を読んでるとき、「これ本人が書いてるのではないのではないか、もしかして本人はもう亡くなってる、もしくは亡くならないまでも植物状態のような活動不能状態なのではないか」と居ても立ってもいられない胸騒ぎがしていた。内容が事務所の人が昔の談志の原稿を再構成しただけとも読めるのだ。ああ、でもそういえば、昔の映画のビデオのことを2週連続で書いていた回があって(多分亡くなり連載終了になる前2,3回くらいの時)そこにタイトルを羅列するだけなら、これまた談志の「いつものとおり」なのだが、それを羅列しながら、「これはもう見ない」「これもいい映画だったがもう見る機会はないだろう」「これも捨てる」などと掛かれており、これにもドキリとしお別れのときが近いのだなと思わされたものだ。後日この連載についての事情も週刊現代に書かれていたが、何本かずつをまとめて入稿してきていたとのことだが、額面どおりに受け取ってよいものかどうか。

落語の演題における似たような設定 [落語]

厩火事、風呂敷、紙入れ
二十四孝、天災
五人廻し、文違い、三枚起請、お見立て

「おせつ徳三郎」とか [落語]

落語をyoutubeでよく聴いている。
昔から好きだったものの、これまであまり聴いた事のなかったものも聴くようになった。人情噺、上方落語などはその一端である。
演題は知っていたもののあまり聴く気が起きなかったこともあってあやふな知識だったいくつかについてちょっと調べてみたのでメモとして書き記しておく
「おせつ徳三郎」など女男の名前の羅列が演題のその男女の情話がいくつかあり、それが頭の中でごっちゃになっていた。
・「おせつ徳三郎」・・・上が「花見小僧」、下が「刀屋」となる
つべで「花見小僧」は柳家小満ん、「刀屋」は円生、志ん朝で聴いた
・「お初徳兵衛」・・・有名な「舟徳」はこの噺の一部
つべで「お初徳兵衛浮名桟橋 」という演題の志ん生を聴いた
・「お若伊之助」・・・「因果塚の由来」ともいう円生が有名か。むか~し志らくで聴いたことがあるのが記憶にある
・「お花半七」・・・これは上が「宮戸川」。割合今でも多く演じられるのでは。

他にもありそうだ。落語以外にも歌舞伎や講談なんかにも。そういえば「八百屋お七」ってのは別名でなかったっけ???