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平昌オリンピック [つぶやき]

オリンピック。見終えて、毎度同じだなと思ってしまった。始まる前は大して期待もせず、あまり見ずにいるがニュースなどで知るうちにだんだん見るようになって、いつの間にか熱中しているという具合。といっても今回は確か開会式は見てたな(ライブで、以下基本的に「見た」というのはライブという意味。そうでない場合はその旨書くつもり)。
だから、最初のほうの日本選手の活躍はニュースで聞く程度。スキーモーグル男子や、スキージャンプ女子など。羽生選手についてもあまり関心はなし。といっても彼が金メダル取ったのと同じ日に、将棋の羽生が中学生棋士藤井に負けたというニュースがあり、それもかなり近い時間帯だったので、それが面白く、ワーワーネットで騒いでいた。フィギュアスケートは解説聞いても、彼らの演じる技、それぞれの違いがわからなくて(例えばルッツだのアクセルだの)面白くないのだ。
俄然盛り上がったのは、スピードスケート。去年の年末だったか高木美帆の名前を聞き、懐かしく思った。というのもそれほどのファンでない、4年に1度のファンである自分にとっては久々に聞く名前だからだ。調べてみると、前々回、8年前のオリンピックに中学生として出場し話題になった娘(結果は惨敗)だ。よく辞めないで復活してきたなあという印象(あくまでも4年に1度しか見ない人間の感想)。であるから、彼女の出場するあたりから中継をライブで見るようになった。
そうやって見ていたので、彼女の銀メダル(1500m)や、小平奈緒が銀、彼女が銅の1000m、さらには小平奈緒の金メダル(500m)も見ていた。
見る前から競技内容を聞いて楽しみだったパシュート、そしてその記事を追ってるうちに知ったマススタート。これ両方とも圧巻であった。
パシュートは予選のほうは見損なって、あとで記事で読んで、その動画を探して見た。例の「待って待って」という失敗レースである。
少し心配していたが、決勝は見ていてかなり余裕な気持であった。途中オランダに逆転されても、なんとなく巻き返せるように思えたというか。
そしてマススタート。これ、今大会の最高の興奮というか。おれ、競輪に嵌ったことがあって、だからこその鑑賞法なのだろうが、応援するのは日本選手、高木菜那。後で思うとではあるが、彼女の先頭に車券を買っていたとして、見ていたように思う。最終1周で先行選手の番手、それまで足をためての絶好の位置。そして最終コーナーで空いた内を突いての飛び出しでゴール。さっきの車券の話に戻せば、これは完全に後付であるけど、事前に競輪新聞があれば、たぶん菜那が強い自力型のオランダ選手をマーク、そして韓国選手が菜那をマークということは事前にコメントとして出ていたであろう。となると高木菜那狙いのおれは高木ーオランダ選手、高木ー韓国選手の二点買いだったろう。そういう車券を持っていたと思って、レースを見れば、最終1週あたりから興奮、最終コーナーあたりは絶叫というくらい完璧な教科書的レースだったと思う。さっき彼女がインタビューでオランダ選手は終盤足にきていて、コーナーを曲がるとき外に膨らんでいたので、最終コーナーでそこを思い切って突く作戦だったと言っていたが、なるほどと思う。
あと、カーリング。これも4年に一回ルールを覚えるところから始まる感じだ。カーリングの自分のわからないところは、投げる前にどこに投げるか作戦を決める、そして投げるという二段階がそれそれ投げる際にある。この作戦(どこに投げるか)がわかってこそ、それがうまく投げられたか、想定通りの位置にいったかを見て、拍手したり、落胆したりするのだろう。この作戦の部分が自分には全然わからない、ゆえに、投げられてもそれがナイスショットなのかどうかよくわからないのだ。ちなみに解説の人は日本にあまり厳しいこと言わないから、今のミスショットじゃね?って思うものも「まあいいですね」くらいに言うのでなおさらわからない。
氷上のチェスと言われているそうだが、チェスは駒をどう動かすか決めて、その駒を動かそうとしたらその駒が別の位置にいってしまったというようなことはない。そこらへんがカーリングとは違うと思う。
カーリングの記事をネットで見ていて、近江谷という名前が出てきて、これも懐かしく思った。これが先に書いたオリンピックは開幕当初興味がないもののいつの間にか熱狂していることの証左で、そういや近江谷さんがオリンピック出ていたとき、彼女の名前をずいぶん聞いたことを思い出した。いま調べてみると4年前の大会に出ている。ということは4年前もそれなりに見ていたのだなと。ちなみに近江谷さんの名前はあまりいい記憶ではなく、ずいぶん叩かれていた(というか自分も熱中して叩いていたように思う)。

もうひとつ思うこと。これは今大会のことではないのだが、スキージャンプって最高に恐怖の競技だと常々思っている。まず自分はスキーが苦手で、子供のころ連れられて行ったものの、寒いし、うまくできそうもないし。無理やりスキー履かされ、体のコントロールできず、勝手に滑り出し、止まれないので転んで無理やり止まったという思い出。
スキージャンプに出されたら、スタートにつく前に脇からそこまで二三歩移動するが、その移動のところでスキーが滑り始めちゃいそうで怖い。なんとかスタートのところについても止まっていることができず、スタートの合図前にやっぱり滑り始めちゃいそう。でそうなったら、もう止める方法がわからないので、転んで止まるしかない。子供の時と同じである。そして発射台の手前でなんとか止まれるか、止まり切れずに発射台から惨めのボトッと落ちるか。
スキージャンプについてはもうひとつ怖いことがある。一度だけ見たことがあるのだが、普段の角度でないカメラで撮ったものが放映されているのを見たことがある。あれって空を飛んでいるように見え、それが格好良くてロマンチックであるのだが、その別角度で見てみると、正に「落ちる」というもの。発射台から飛び降りているだけのようで、つまりビルから飛び降りてどこまでビルから離れたところで着地できるかというように見えるのだ。そう考えると、スタートから発射台まで何メートルあるか知らないが、その何メートルかを斜めに滑降し、高所から飛び降りできるだけ遠くへ落ちる競技なのだ。怖いこわい


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ギタ―を持った渡り鳥 [映画]

1959 日本
02/12(月) 19:00 -
BS12トゥエルビ|90分

月曜スペシャル「銀幕の大女優~BS12人の女~」、2月は浅丘ルリ子で「愛の渇き」「ギターを持った渡り鳥」。
ちなみに1月は岸惠子で「細雪」「雪国」「黒い十人の女」。この3本中2本は見ており、「雪国」はいずれ見ようと思っているが、いつになるかわからないので、ここにメモしておく。

小林旭主演。タイトルはよく知っている。まあこの当時作られたアイドル映画であまり見る価値ないだろうなと思いながらも、そういう他愛のないもののが見やすいかと思い、視聴。まあ予想通りという感じ。
「本作のヒットを受け、以降1962年まで合計8作の『渡り鳥シリーズ』が制作された」とのことで、主演の小林旭とヒロインの浅丘ルリ子で作られたとのこと

政治家の原健三郎が原作に名前が入っているが、それについては--
原は、1959年(昭和34年)から1961年(昭和36年)にかけて、「渡り鳥シリーズ」全9作品中4作を含めた日活映画15作の脚本および原作を執筆したことになっているが、実際には全作品においてノータッチであったことを複数の人物が自著で明らかにしている。一人は、原とともに脚本にクレジットされた日活の専属脚本家・山崎巌で、もう一人は原の「原作」をいくつか映画化した監督の西河克己である。

これら全作品のプロデューサー・児井英生[2]は、原と早稲田大学の同級生で親交があり、原に有権者や党内に向けたパフォーマンス的肩書きを与えるためクレジットに加えたのだという。
--
金子信雄が敵のボス役。後年の頭がツルッパゲのときの顔とつながりはあるんだけど結構違う。役柄はお馴染みという感じだけど。で、金子信雄が出てるのはわかってたから、この人がそうだろうと思ったが、ずっと見ていると、なんかちょっと違うかななどとも思う。
宍戸錠も出ており、彼もファーストシーンで宍戸錠かなと思ったが、やっぱ後年とは結構顔つきが違っており、見進めるうちに、違うかななどとも思い始めた。
主人公の警察時代の上司の役の人は渡辺文雄かと思ったが、違う人だった。
小林旭は顔つきがこういっちゃなんだが、主役を、しかも人気シリーズになるような作品の、張るにはちょっと崩れた顔つき。よくこれでヒットしたなと思う

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バイプレイヤーズ~もしも名脇役がテレ東朝ドラで無人島生活したら~ 大杉漣さん逝去 [テレビドラマ]

大杉漣さんが亡くなった。こういうのはちょっと失礼かもしれないが、ファンではなく、それほどの思い入れもない。が、非常にびっくりした。いま絶頂期というのは大げさかもしれないが、常に仕事が来ているだろう大活躍中で、そういう中での訃報。とくに表題、「バイプレイヤーズ」が現在放映中、しかもその第3話が放映される日の訃報(亡くなった日もその報道が流れた日も同じく2/21の水曜日)。「えっ」と思った。
体調不良だとかの話も聞かないし、そういう様子も見られなかった(例えば今作の第1話は放映された日に見た)ので急逝としか言いようがない。
訃報に接する際、2つある。1つはその人の死をなんとなく予感していた場合やまあ仕方ないというような長生きの方の老衰なんかがある。年を取ってずいぶん表立って出てこない方だとか、見た目で長くなさそうな衰えが見える場合、病気が公表されている場合なんかがそれだ
もう一つは、突然の死。トム・ペティなんかも確かなくなる数日前にライブをやっていたそうで、これにあたるが、身近さでいうと、大杉漣さんのほうがテレビなどで目に入る回数が多いからか、とても近く感じる。

さて、この作品。前作、たいそうな評判で、検索してみると、絶賛という感じの評価が多いのだが、おれはそれほどとは思わなかった。だから今作もさほど期待はしておらず、でも第1話が始まる前に気づいたので、録画をし始めた。第1話はすぐに見たのだが、自分の評価は前作と変わらず。
評価されてるのはどの辺だろう。そりゃ、従来のドラマというカテゴリーからは大きく離れており、むしろそこにしか価値はない。だからそこが評価されてるのだろうけど、自分には悪ふざけにしか見えない。

これが放映されることを知った記事に、その第1話が始まる直前まで撮影をしていたとあり、大杉さんが亡くなりこの後この作品はどうなるのやら、全部撮影終えてたのかと思った。調べてみると全5話の予定で、亡くなった日あたりに検索をかけると、すでに第4話のゲストについての記事などが出ており、じゃあ第4話までは撮影済んでるのか、もしかして全部撮影終えてたのかもななどと思ったのだが、その後明かされたところによると、まだ第4話も少し撮影予定が残っており、第5話もいくらか撮影が残っていたとのこと、そして、内容を予定とは変更して、全5話完結まで放映されることが決定したとのこと。

今回こんなことになったので、放映されてる第3話までも見た。まあ、見るにしてもかなり見てる側の感情は異なっているが。
そして中身でもちょっとしたことにどっきりする。第2話は松重は主役で死んだようになる場面で大杉さんが声をかける場面だとか、第3話はトモロヲが主役だが、こちらも死んだようになる場面があったり、その後ずっと病気だったり。第3話のいつもラストにある「バイプレトーク」(出演者によるトークコーナー)では大杉さんがバイプレメンバーのラインを抜けて、女性バイプレ(第3話のゲスト)陣のラインに入ったというようなことを話しておられた。大杉さんが亡くなった際、ラインで体調不良を訴えそれを松重さんがキャッチし病院に搬送という経緯があるだけに、こういう話もびっくり

さて最終話までどうなっていくだろうか

3/8追記
3/7が最終回
第2-4話がそれぞれ、松重、田口、光石がメインの話で、全5話と聞いて、第5話はどうするのだろうと思っていたのだが、情報によれば、第1話は遠藤がメインとのこと、第1話ということで話の発端でもあり、第2-4話ほどにはメインという印象もなかったのだけれど。そして第5話は当初から大杉がメインとなる話とのこと。
「約7割の撮影を残していた」「最終回を執筆した脚本家・ふじきみつ彦氏(43)は急きょ行われた脚本会議を経て、内容を修正した。撮影済みだった約3割のシーンは必ず生かすことを前提に、練り直し。次の撮影が迫っていたため、脚本直しはほぼ1日で終えた」(最終回についての記事から抜粋)
ストーリーとしてはまったく不自然なところがなく、どこを直したんだろうという感じ。でも撮影済みを全部生かしたということだから、その3割で成り立つストーリーだけにして、本来もっと話が続いてたり膨らんでいたりしたのだろうな。
最終話では追悼テロップはなく、追悼っぽい部分は一番最後このドラマはフィクションであり・・のテロップのあとに、4人がおなじみの黒ずくめの衣装、後ろ姿で、海に向かって「漣さんありがとう」と叫ぶ場面、そして後述するが、スマホで撮影されたらしいオフショットくらいか。
この「漣さんありがとう」これはグッときた。ここは新たな撮影だろう。
あと終盤の「しまっこさん」の打ち上げが島ハウスで行われ、最終回の出来上がりを島ハウスで出演者やスタッフみんなが見る場面で4人だけが部屋にいて、大杉が外でドラム缶風呂に入っているという場面がある。ここは5人が一緒に映る場面はない。外にいる大杉へ呼びかけ、それに答える大杉というようなやり取りはある。ここは一緒にいなくても撮影できる、もちろん一緒にいたのかもしれないが。そして島おじさんをメインにして「しまっこさん」スピンオフドラマ製作決定が発表され、「明日は朝からタイトルバックの撮影だ」というような声を背に、大杉を呼びに4人が外へ行くという場面になり、そこへひとつ場面が挿入され※、翌朝のオープニングシーンの撮影の場面へと続く、ここには大杉は健在で、「昨晩は飲みすぎた」などと話しながら撮影が始まる。この「しまっこさん」スピンオフドラマオープニングシーンというのが、実は、今作「バイプレイヤーズ~もしも名脇役がテレ東朝ドラで無人島生活したら~」のオープニングシーンらしきものになっているという凝ったもの。
このようにオープニング撮影の場面が大杉含めて撮影できているというのは、ここら辺も脚本の変更はあまりなさそう。あえていえば、※印の部分、4人が大杉を呼びに行ったあとになにかあって、そこで話が膨らんでという予定だったのかもしれないとは思う。そしてその※印の部分、挿入されているのは「大杉さんが撮影の合間にギターやハーモニカを奏でるオフショットを挿入する」(最終回についての記事から抜粋)であり、スマフォで撮影されたのだろうか、縦長の映像で、大杉がギターを弾きながら歌い、歌といっても、歌詞は「〇〇が躍るよ~」と〇〇の部分に大杉以外の4人の名前をいれるというもので、呼ばれた人が一節大杉のギターに合わせて踊るという馬鹿騒ぎの模様。これはグッとくる。しかも翌朝の撮影の場面での「昨晩は飲みすぎた」につながるようになっている。


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不機嫌なママにメルシィ! [映画]

2013 フランス・ベルギー
02/20(火) 02:09 -
日テレ1|80分(上映時間 87分、映画天国のオープニング数分やCMもあるので結構カットあり)
映画天国

良い映画だったと思うが集中できず何度も巻き戻して見た。
芸術的な面とコメディ的な面とが合わさったような作品
オープニングで劇場の舞台裏、主人公のギヨームが舞台に出る準備をしている。この場面で日本の能だろうか、そんなポスター(日本語の文字も書き込まれている)が鏡のわきに貼ってあるのが見える。そして舞台に上がると「ママ」と呼びかけ芝居、一人で独白の芝居が始まると同時に、そのママという呼びかけにママが答え、回想の場面、それはすなわり、その舞台で演じられている独白の芝居に沿ったもの、それが映像として始まる。つまりはその芝居という形式で、主人公の独白で物語が進んでいくという構図。さらにその回想の場面では、ギヨームがその回想場面の中でも独白を始めたりもするし、また、実際はそこにはいないはずのママがギヨームにサジェッションを与えるような形で姿を現す(主人公にしか見えない)ような演出もなされる。考えてみればこれも芝居の一部なのだろう。
そしてこれは最後の最後にわかるのだが、その芝居というのは、この作品で描かれるストーリーのような結論をママに伝えたくて、書かれたものであり、こういう芝居を書くよということをママに伝える場面、そしてママを含めた観客の前で演じている場面、そして冒頭が舞台裏から舞台に上げていく場面だが、最後は同じような廊下を歩いており、服装(序盤で着ていたチョッキを脱いでるなど)や顔の汗から、終演後、楽屋へ戻るところであろう場面で終わっていく
そのストーリーはものすごく簡略、そしてちょっと的外れかもしれないが、女の子のように育てられ、自分もそう思っている男の子が、自分を探す旅に出て、女の子の友達との女子会に出て、女の子に恋をし、自分はゲイでなくストレートだと認識するというようなもの。

監督はギヨーム・ガリエンヌという人で、実体験をもとに書かれた作品で彼がなんとギヨームとママ役の二役を演じている

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スコルピオ [映画]

1972 アメリカ
01/09(火) 21:00 -
BSデジ 200|120分

アラン・ドロン とバート・ランカスターが主演
いまこの作品のデータを調べようと二人の名前で検索したら、「山猫」という有名な作品もこの二人の出演だ。
今作品はいくらか複雑でこの程度の複雑さで自分は値を上げてしまう。作品紹介文のあらすじは読んだのにも関わらず序盤はよくわからないまま進んだ。全部見終えて、最初の部分を見てようやく序盤の要人暗殺の場面の意味がわかった。
CIAを扱ったスパイもので、バート・ランカスター(クロス役)がCIAの職員だが知りすぎた男としてCIAから狙われる。アラン・ドロン のほうは、フランス人殺し屋・ローリエでCIAから汚い仕事をこれまでにも頼まれており、今回はクロスを狙う仕事を依頼されるという役どころ。ローリエはこれの成功報酬としてCIAに入れてくれなどと頼んだりもしている。二人はそれまでにも一緒に仕事をしている(冒頭、クロスがローリエに仕事を依頼する場面があり、その後要人の暗殺があり、それが依頼の件)旧知の仲であり、いくばくかの信頼関係もあるので、中盤では二人が落ち合い、CIAの言ってることは本当なのか確かめるというような場面もある。
クロスの妻がCIAにより(誤ってかもしれないが)殺されてしまい、クロスはアメリカに舞い戻り復讐する。その復讐を遂げたところで終わりにすればきれいな感じなのだが、話はまだ続き、ローリエの恋人が実はスパイであり、クロスともつながっていたということがわかるなどあったりして、ローリエがクロスを射殺。そのローリエも何者かに射殺されるところで終わる

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眠狂四郎 The Final [時代劇]

02/17(土) 21:00 -
フジテレビ|130分

田村正和主演
ちょうどこの時間暇だったので、リアルタイムで視聴(途中から休んだりしてたので、録画の追いかけ再生)。
おれはほとんど田村正和に思い入れがない。同時代の大人気俳優ではあるが、その人気ドラマもリアルタイムではひとつも見ていない(こないだ再放送で「古畑」というのを初めて見たくらいだ、「古畑」については、今回の放送に合わせたのであろうか、平日の夕方に地上波でも再放送していたのに、その時間偶然見かけて気づいた)。このブログでもほとんど記述されていないだろうと思う。
解説文を見ると「半世紀ぶり」などと書かれているから昔に十八番にしていたということなのだろう。おれは田村正和が眠狂四郎をやっていたこともほとんど知らない。
しばらく前に、田村正和がインタビューを受けてて、その際の声の悪さテンポのスローモーさに驚いた。脳の病気をやったか、もうすぐ死ぬかみたいな感じなのだ。そういえば、いつだったか(調べたら2016年3月)松本清張のドラマの主演をやっているのが少しだけ目に入ったが、あれも声がひどくてかわいそうだった。
もう、これで引退なのだろうなと思う。脇で特別出演くらいはやれるだろうか。
眠狂四郎というキャラが動きが少なく、口数も少なくだからギリギリ今の状態でもできると踏んだのだろうか。それにしもて生気がない
顔は驚くほど、若い状態のハンサム美青年(中年だろうか、老人には見えない)。メイクアップ技術のせいだろう、無理やり感はあるけど。
だけど声がダメ。周りの俳優は普通に健康そうな声(あたりまえだけど)なのでさらにそれが目立ってしまう。常に寿命目前のピンチ状態の眠狂四郎という感じ。
眠狂四郎という作品自体が持つエロティシズムや妖しさみたいなものは現代製作なので到底無理。

ほかの出演陣では津川雅彦、名取裕子にもちょっと驚く。この作品のCMで津川が映り、さすが大物を持ってきたなと思ったが、実際画面で見ると津川じゃないように見えた。また名取裕子もファーストシーンで、ああ、この重要そうなキャラ(文字若という小唄のお師匠さんのような役どころ)は名取裕子かと思ったのだが、見進めていくと、どうも違うような人のように見えてくる。結果どちらもその二人で間違いなかったのだが。自分の知ってる顔より相当に老けてしまっている。
ヒロイン、吉岡里帆。元気いっぱいではっちゃけているけど、ちょっと浮いてるか。彼女は眠の娘と自称して近づくという役どころ。彼女が「父上」と呼ぶのを眠は嫌がっているが、途中不意打ちで「父上」と呼ばれ返事をしてしまい、なぜ答えてくれたのかと問われ「油断した」とボソッと田村が返すのはギャグなんだろうな。声のトーンが低くて笑えなかったけど。
原田龍二の名前があった。見ていてそうじゃないかなと思った場面があったが、やはりそうだったか。多分序盤であっというまに眠に殺される侍の役。端役だ。吉岡にしろ原田にしろ、とくに原田のほうは田村との思い出共演ということなのだろうか
※月曜日に「ラジオビバリー昼ズ」でこれについて話してた。松本明子の旦那(本宮泰風)も斬られ役で出ていたらしい。原田龍二と本宮泰風は兄弟
※見直してみたら本宮泰風は玄妙斎という役。今作で狂四郎の敵役となる耀蔵(椎名桔平)の子分役だ

堀内正美がたくさん出番のある割合重要な役どころで出ていたのは嬉しいところ

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サムライ [映画]

1967 フランス・イタリア
12/30(土) 21:00 -
BSデジ 200|120分

アラン・ドロン主演。監督はジャン=ピエール・メルヴィル。
「1967年制作のフレンチ・フィルム・ノワール。アラン・ドロンが侍を思わせる暗殺者を演じ、後世の多くの作品に影響を与えた。また、ナタリー・ドロンの映画デビュー作品でもある」とのこと。
そうか、相当の名作だったか。
ストーリーとしては、一匹狼の殺し屋をアラン・ドロンが演じ、組織からも警察からも追われながらも、自分を抹殺しようとした組織のボスに逆襲するというようなありきたりの話。ただひたすらドロンを格好よく撮り続けた作品という感じ。影響を与えた作品に北野武の『ソナチネ』が挙げられているが、それはとてもわかる。主人公が組織に狙われながらも逆襲すると同時に請け負った仕事をも淡々とこなそうとする感じだとか、口数が少なく何を考えているかわからないところとか。
バーのピアノ弾き(ジャズ)、黒人の女性が出てくる。主人公の殺しの現場を見たが、それを警察に言わないというような役柄で。この女性、ピアノが弾けるのかどうかはよくわからない。手元が映る場面はあるが、それは別の人の可能性もあるし。多くはピアノの前に座った上半身が映っており、それだと弾いているようには見える。で、それはいいのだが、ラストシーンは、主人公が彼女を殺しに来る(仕事として)という展開。彼女が弾き始めるのはオルガン(それまではピアノだったがオルガンもやるらしい)。その彼女の前に主人公は立ちはだかり、「殺しに来た」というようなことを告げ銃を向ける。彼女は多少驚いたような表情に変化。このあたりで演奏がまったくぶれない。弾けているという設定もよいが、演奏が乱れるという風にしても良いかと。あまりに演奏が整いすぎてて気になってしまった。ちなみに、そこで主人公が銃を発射したかしないうちに、張っていた警察の銃撃に倒れる。主人公の銃を調べると、弾は込められていなかったというのが結末

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ONCE ダブリンの街角で [映画]

2007 アイルランド
01/05(金) 21:00 -
BSデジ 200|100分

見る前に解説を読んで、なぜかこの映画のことを知ってることを思い出した。それも公開当時に知ったのではなく、このブログをつけている時期、比較的最近、ネットでウィキを読んだという程度に知ってるという感覚。ブログを書くにあたって、各映画のことを調べる際に、関連項目、例えば監督や出演俳優、または解説に書かれているほかの映画への言及、こういったもののリンク先へ飛び、そこからさらに、関連項目を調べという風にネットサーフィンといった状態になることがよくあり、そういうことで、この映画のことを知ったような気がした。
で、なんの映画からこの作品へとリンクされていたのか、気になり、関係しそうな作品を探そうとこのブログを検索かけてみたりもした。割合の作品と同じ空気を持った作品(田舎町を舞台に素朴な音楽をテーマにした作品)は多く思いつく、作品名は思い出せないが、ある1シーンを思い出したり。で関連しそうな単語で検索かけたり。だけど、どうしても、この作品に行きつきそうもない。というのは、この作品のウィキ見た限り、監督や出演者のこれまでの作品リストを見ても、または「アイルランド」「ダブリン」なんかで検索してもそれらしい作品が出てこないのだ(今回改めてこの作品のウィキを見たら、大好きな作品「ザ・コミットメンツ」に今作品の主演のグレン・ハンサードが出ていることを知ったが、「ザ・コミットメンツ」を調べていてそのリンクでこの作品に来たということは記憶にまったくないのでこれは違う)。
で、結局なんなのか想像すると、たぶんこの作品、以前にもテレビ放送があり(多分、今回のように有料チャンネルの無料放送枠)、事前準備で、この作品について検索をかけて面白そうだなと記憶に残っているのだろう。そして、そのときに録画し損ねたか、なにかほかの録画とぶつかったか、まあそんなとこだろう。

作品内容はとても良いが、ウィキに書かれてるとおりの内容でそれ以上でもそれ以下でもないという感じ。ちょっと否定的に聞こえるかもしれないが、決して悪口ではない。ただいい作品だろうなと見始めたら、まあその通りでそれほど驚きはなかった。

あまり説明的でなく、話が進むのでちょっとわかりにくいところがあった。こういうことかなと想像しながら解説読んで、まあわかったけど。それは以下の場面(ウィキの「あらすじ」から)
①「"男"はロンドンへ行った元彼女(演:マルチェラ・ブランケット)のことを思い返し、「変っていく君に追いつけない」という "Lies" という曲を作曲する」
突然元彼女が出てくるところがよくわからなかった

「あるいは即興でそれぞれが演奏するパーティなどで歌い練習する」
これがなんのパーティなのか、「男」はそこで歌ってるのかどうか(顔がみんな似たような感じで見分けがつかないのと、「男」らしき人が歌ってるけど、パーティ会場に入ってきたとき黒い服だったのに、歌ってるときは白い服)

レコーディング場面、エンジニアの人が出てくる。レコーディング二曲目のところで、映像が「女」の家でエンジニアの人やバンドメンバーが集まってる映像になる。けどレコーディングは一晩なのではなかろうか。その後、「女」のうちに集まったという意味? いや、違うか、あれが「女」の家だとしたら、レコーディングが数日あり、その間にそういうことも行われたということ? なのだろう

「男」がストリート・ミュージシャンに声をかけ、レコーディングに参加してもらうという場面がある。そこでバンドのメンバーが「シン・リジィの曲をやるのか? 俺たちはシン・リジィしかやらないぜ」などという。そこに立ってるのはフィル・ライノットの銅像。彼のウィキを読んだときに、その銅像のことを知っていたので、ちょっとニヤリとしてしまった。ということはそのストリート・ミュージシャンが演奏してた曲ってきっとシン・リジィだったんだろうな。おれは詳しくないから知らなかったけど。
実はそういうやりとりがあったので、その人たちは雇わなかったのかと思ってたいたが、よく見れば、その人たちがレコーディングに参加している。まあ短い映画なので、そこらへんはその人たちを断るなど、無駄な場面はいれずにどんどん話が進むのだ。というより、シン・リジィへの敬愛も垣間見れてよいシーンだと思う


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カリフォルニア~ジェンマの復讐の用心棒 [映画]

1977 イタリア・スペイン
01/22(月) 21:00 -
BSデジ 200|105分

ジュリアーノ・ジェンマ主演のマカロニ・ウエスタン。といってよいのだろうか。ちょっとマカロニっぽくない。イタリア製作でジュリアーノ・ジェンマだからマカロニでいいか。内容的には普通の西部劇っぽい部分を多く感じる。
番組サイトの紹介文によると、日本未公開でテレビでは「復讐!新・荒野の用心棒」というタイトルで放映されたとのこと。では、今回の放映の際ののタイトルはなんなんだ、今回勝手につけたんかと言いたい。調べてみると、このタイトルでDVDが発売されてるからそれに準じているのだろう。
原題が「CALIFORNIA」で、これは主人公の名前(愛称かな)。で「カリフォルニア」だけでは物足りないと思ったのだろう、そのままでいいじゃんとも思うが、まあ確かに物足りない。で「ジェンマの復讐の用心棒」。テレビの時のタイトルから持ってきた感じか。内容からすると、復讐はあるけど、用心棒の要素は無い、というか薄いな。

南北戦争後という時代背景。ここからしてちょっとマカロニっぽくない。ジェンマ演じる「カリフォルニア」は北軍による武装解除の場で知り合ったウイリーと旅をともにすることになる。カリフォルニアは依然有名なガンマンであるがその素性をウィリーには隠し「マイケル・ランダム(名前を聞かれとっさに目に入ったタバコの名前をそのまま名乗る)」と名乗る。ので、作品内でウィリーや彼の家族と接しているときはマイケルであり、あまりカリフォルニアの名前は使われない。ただ有名なガンマン時代を知っているものが彼に接してくると「カリフォルニア」と呼び掛けられる。ウィリーは北軍に入った息子を探している男と諍いになり殺されてしまい、マイケルは遺品の勲章を持ってウィリーの故郷へ。そこで家族に受け入れられ、ウィリーの姉ヘレンとは恋愛関係に。マイケルとヘレンが街に買い出しに訪れた際、ヘレンが南部の賞金稼ぎにさらわれてしまい、彼女を助けるため、マイケルはその賞金稼ぎを追い、3人組のうち二人を殺し、ボスのウィテカーとは手を組む。なぜならヘレンを隠している場所を知っているのはボスだけだから。そして二人で組んで強盗をやらかしたりして、信頼を勝ち取り、ついにヘレンの居場所へ連れてこられ、マイケルの怒りが爆発する。という内容

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ヴァージン・スーサイズ [映画]

2000 アメリカ
02/08(木) 21:00 -
BSデジ 200|100分

ソフィア・コッポラの初監督作品
夜、お酒を飲んで酔っ払ったあと、録画ものを見ながら眠くなるのを待つ。酔っぱらっているので、まだ見ていない作品を本気見することはできない。だから、一度見たものの中から選ぶ。酔っぱらっているのでストーリーを追うのも面倒で、大抵音楽ものか、もう頭に入ってるような好きな作品の好きな場面を選んで見たりする。
昨日、ソフィア・コッポラの『ロスト・イン・トランスレーション』を見ていて、つくづく良い作品だなと思った。といっても冒頭の10分くらいだけだが。
で、そういえば、まだ見ていない録画一覧にソフィア・コッポラのものがあったなと思い今作を拝見。
なかなか良い作品。これで彼女の監督作品は「ロスト・イン・トランスレーション」、「マリー・アントワネット」と今作。3本目だが、どれも合格点には達してると思う。

5人姉妹の話でストーリー紹介文のところで、「姉妹のうちの一人が自殺し・・・」とあり、そういう話ということはわかっているからか、ミステリアスな雰囲気が底流にずっとある。最終的に5人とも自殺してしまうということもわかっており、それは紹介文にはなく、作品の序盤でわかるようになっていたのか、それとも、ウィキに「原作はアメリカの作家、ジェフリー・ユージェニデスが1993年に発表した『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』(早川書房刊)である」とあるから、それが目に入っていたのか、とにかく5人とも自殺することが薄々わかっており、だからこそのミステリアスな雰囲気だろう。ミステリアスな雰囲気が作中ずっと前面に出ているような作品とは違ってあくまでも底流に流れているだけで、それが尚のこと、不気味。
だたどうだろうなあ。最後まで見終わるとそういうミステリアスな雰囲気を描いたものとは言えないような感じ。中盤以降その雰囲気が薄れてきており、でも最終的に全員自殺するんだろ、と思いながら見ていたものの、結論的には、若い少女たち特有のわけのわからなさが自殺の原因としているような内容。その姉妹を近所の男の子たち4人が見守っており、そのうちの一人がその事件の25年後から回想するナレーションで話が進んでいくという形式で、20前の少女たちと少年たちの若さゆえの思考を描いた作品なのだろう。
5人姉妹がそれぞれ際立つように描かれてるかといえばそうでもなくて、最初に自殺するセシリア、その後の話をひっぱるラックスのふたり以外はその他大勢的な扱い。少年4人組のほうは名前さえよくわからない。物語の本体のほうには出てきていたのだろうか。

ちょっと前に見た「ザ・ウォーカー」でも使われていたアル・グリーンの「How Can You Mend A Broken Heart」がここでも使われている。
エンディングの使用楽曲クレジットを眺めていたら、その曲のライターがなんとなく目に入った。さらに見続けていくと、、一番最後に出てくる楽曲がビージーズで、その曲のライターとアル・グリーンの曲のライターが同じだった。アル・グリーンにビージーズが曲を提供していたのかと思ったら、実はこの曲、ビージーズがオリジナルでアル・グリーンはカバーなのね

変な演出が目に入った。中盤あたり。姉妹のひとり、ラックスがトリップという男とつきあい始める場面で、トリップを見つめるラックスの目がキラリと光る演出があるのだが、そのキラリと光るのが記号というか模様を目のところに表示させるというもの。実写での光の当て方でやるのでなく、そういう方法を使うところにちょっと驚く。しかもそれが1秒に全然満たない一瞬であり、しかもあまり目立たない小さい模様。映像を言葉で説明するのは難しいが、「スコット・ピルグリムVS.邪悪な元カレ軍団」で使われていたような、実写映像の上に擬音語を表示させる的な、マンガっぽい手法。
そういやそのちょっと後、トリップがラックスをダンスに誘い、両親が4姉妹全員を男4人組で合同デートならと承認され、家に迎えに来る場面、トリップがラックスと向き合う。カメラはラックスを顔から下へ。太もものあたりで止まる。と、円形でそのスカートの中身が見える(中の下着にトリップと男の名が書かれている)という演出がある。これ、スカートが捲れるとかじゃなくて、円形の部分だけスカートの中はこんな下着になってますよと映像を合成しているということ。これなんかもマンガっぽいか。
それをもとに考えると序盤で5人姉妹が登場する場面、一人ひとりがストップモーションになり、そこへ手書きのポップな文字で名前が表示されるという風になってた。これもマンガっぽいか。
なんでこれをツラツラと書き連ねているかといえば、強烈なものではないが多少の違和感を覚えたのだ。なんというか作風に合わない手法というか、作品の持つ世界観と合っていないような。というのも基本的に実写映像だけで通していくような作品に思えたので。
さて、ここからはこの作品についてから離れる。
「作品の持つ世界観」とか「作風に合わない手法」とか書いた。これまでもそういうようなことを書いたことあるだろうし、そういう風に思うことはよくある。のだが、これって自己矛盾でもある。だって「作品の持つ世界観」の「作品」というのはその「作品」の始めから終わりまでであり、その中にその手法は使われているんだから。
でもまあ言いたいことはわかるだろうと思う。例えば「七人の侍」に「ワーワー」という擬音語が変な字体で表示されてたりしたらどうよ、ってことだ。いや、これも違うな。「七人の侍」にはそういう手法は使われていないんだから、「もし」それが使われていたら、「作風に合わない手法」であろうし、逆に「もし」ほんとうにそれが使われており、そういう作品として仕上がっていたら、それは上記の自己矛盾にぶつかることになるのだろう

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