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奇跡の人 [映画]

1962 アメリカ
2015/12/25(金) 20:00 -
BSジャパン|114分
吹替版

子供のころ見た。学校だったか親に連れられてか、記憶の中では「PTA推薦」映画みたいなイメージになっており、今回見ても、商業映画としてどうかというようなことが、記憶の印象が邪魔して判別しにくい。「PTA推薦」みたいな映画は商業映画ではないからね。
本作はアカデミー賞で主演女優賞、助演女優賞を獲得しているというそれなりの名作
さて、見ている間は気づかなかったが今調べて分かったことがある。これ製作年がやけに古いが、1979年にテレビ映画版としてリメイクされている。自分が見たのはこれだな。ヘレン役に「大草原の小さな家」のメリッサ・ギルバートとあって急にそういえばそうだったということを思い出した。そのテレビ映画版はカラーだが、今作はモノクロ。
見ていて、これは子供のころ見たやつだと疑わなかったが違ったか。

吹替版の雑なところを見つけた。ラストの場面、手で文字を書きながら単語を言うだけの部分を英語版で見直してみると、まず微妙にBGMが違う。いや同じ曲だが、両版で同じ場面で音楽の場所がずれているのだ。
もうひとつ。ヘレンがウォーターを叫んだあと、「tree」も叫んでいるが、これが吹替版ではサリバン先生のセリフになっている。これはひどいように思う。

子供のころ見たものとは違うことがわかったが、そのとき見たもので記憶にあるのはウォーターの場面だけ。
今回見てみて、サリバンもまた目に障害のある人だということを初めて知った。ヘレンと二人の場面でかなり強烈に指導をするのは知っていたが、ケラー家の人たちにもかなり高圧的に出る結構嫌な感じの人に描かれているのは意外だった。その障害者のための学校を出たばかりの新米教師がやけに自信満々なのもちょっと変な感じに見えた

真面目なところでいうとこういう障害児教育というのは教育者と家族との相互理解というのが大切なんだなということをわかる。今作の家族の甘やかしと無理解というのは相当なもので見てる側はイライラする。
ヘレンとは腹違いの長男がそれまで冷ややかに見ていたのに、最後にはサリバンの理解者になる場面などは、家族それぞれの葛藤が見られて面白い

疑問なのは、ヘレンが目が見えないのに、人形を可愛がるもんなのかねということ。
あと、ラストでウォーターと叫ぶのは、どういう理由なのだろう。サリバンが教えていたのは指文字で、それが発音につながるとは思えない。赤ん坊のころ最初に発した言葉が「ウォーター」だとあったから、記憶が蘇ったということなのだろうか。
また、その叫ぶ場面を親が見たらそれは感激するだろうが、その場面に両親はいない。自分の記憶の中ではそこがラストシーンでそこに親もいて、という展開なのかなと思ってた。リメイク版がそうなってるのかもしれないけど。また、このエピソードは創作用のもので実際にヘレンが喋れるようになったのはもっと遅くなってからとのことだが。
単語と物がつながり物に名前があるということがわかったヘレンを親が感激するのはわかるにはわかるが映画的にはウォーターの場面で感激するほうが劇的ではある

※追記
今作でヘレンを演じているパティ・デュークは、1979年版でサリバン先生役を演じている
パティ・デュークは2016年3月29日、満69歳で亡くなった。

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荒鷲の翼 [映画]

1957 アメリカ
03/04(金) 17:58 -
BSジャパン|117分(冒頭10分程度、「シネマアディクト」というコーナーで本作主演のジョン・ウェイン特集)
上映時間110分
吹替版

ジョン・フォード監督、主演、ジョン・ウェインがフランク・“スピック”・ウィード役、その妻役にモーリン・オハラ
アメリカ海軍航空隊のフランク・W・“スピック”・ウィードの伝記を基にした作品
フランク・“スピック”・ウィードは映画の中でも描かれているが、海軍で名を馳せるものの、階段から落ちるという事故で半身不随、回復を果たし、映画の脚本などの仕事に携わった人(その後第二次世界大戦となり、再び海軍に戻る)。

前半と後半、コメディ調 長い人生のエピソードの抜き書き。一つ一つはその基となった自伝の通りなのかもしれないが、それらをつなぐ部分が映画で描かれてないから、微妙に話のつながりがちぐはぐ。
例えば、最初の方でなぜ妻は急に夫の動向を拒むほど仲が悪くなっているのだろうか、とか、事故後フランクは妻に好きなことをやれと遠ざけたのに、映画界で成功した後、彼女と会って戻ってくれるよう頼む際には「過去のことは水に流してくれ」と言ったり(フランクがわがままを言ったのではなく、自分の世話はいいから自分の好きなことをやれと言ったのだから水に流せはおかしく思える。もっと昔のことを言ってるのかもしれないな)。
ジョン・ウェイン、モーリン・オハラ、ともに流石の余裕ある演技なのだがそれゆえゆるく散漫な印象。
ジョン・フォードって何本くらいこれまでに見ただろうか。名高い人ではあるが、なんか大したことない作品も多い印象だ。またジョン・ウェインも同じく、アメリカを象徴するような俳優であるが、つまらない作品も多い。
松葉杖のジョン・ウェインの演技は良い
ジョン・ウェインの吹替えがイマイチかなあ。あと若いころから年老いるまでを演じているのだが、あまり若さは感じない。冒頭は何歳くらいの設定なのだろう

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あの子を探して [映画]

1999 中国 評価SA
09/27(火) 15:10 -
NHKBSプレミアム|108分

監督はチャン・イーモウ。「単騎、千里を走る。 」の人だ。その作品に連なるドキュメンタリーを以前見たが、そこでこの作品も紹介されていたような気がする。「単騎、千里を走る。 」がなかなか良かったので、これも見てみることにした。
なんとも不思議な作品だ。主人公始め登場人物に感情移入がしにくいのだが、それを意図しているのか、そんな作品にしたつもりはないのかよくわからない。
評価が高い(ヴェネツィア国際映画祭グランプリ受賞)作品のようなのだが、どこら辺が評価されているのやら。
まず冒頭、色々な点が相俟ってということだろうが、普段見慣れている映像作品と異なり、なんとなく受け付けない。中国語、素人俳優の演技、人物が殺気立ってることなど(これは言葉のせいかもしれない)。
主人公・ミンジがまったく魅力的でない。無気力、怠惰、暗い目、反抗的
強いて言うならまだ生徒たちより少し上の少女が教師をなんとかやろうとしている姿に普遍性があるのかもしれない。
いくつかあったうちでミンジの不愉快な行動を2点。
レンガ工場の件。工場でレンガを運ぶと金がもらえると知り、生徒とともに行くのであるが、工場は無人。で、帰ろうという生徒に対し、払ってもらえるからと勝手に運に始める。工場の人が来ると、払えと要求、払わないとごねる。これはひどい。そこへ運んだのが正しいのかどうかもわからないし、そもそも頼まれてない。レンガを勝手に動かしただけじゃないか。
ごねて結局金をもらうのではあるが、ここもおかしい。その工場の人というのは、自分もレンガを運んでいくらもらったというような話をしているから労働者だろう。なんでその人が運び賃を払うんだ。
2点目
ホエクーを探しに街へ出たミンジがホエクーと一緒に街に出てきた女の子を探し当て、一緒に駅に出向く場面。ここもその女の子は仕事があるから行きたくないというのを、金を払う約束で無理やり連れてくるのだが、一日つきあった後金をもらおうとすると拒否するのだ。これは結局払うのだが、ここらは一旦は拒否するという国民性か。これを見て国民性とまで言ってしまうのは言い過ぎかもしれない。
ホエクー探しに街へ出てしまい生徒は放ったらかしってのもどうかと思う

迷子探しをやってもらおうとテレビ局へやってきて受付で門前払いを食う場面。2日ほど門の前で局長を待ち続け、局長の目につきなんとか面会させてもらえるのだが、そこでの局長が受付女をなんでミンジを入れてやらないんだと叱る場面も、ミンジ側に感情移入して、良かったねという気分になるかといえば、そうはならず、受付女がなんでこんなことで怒られるんだよって気分になる。
普通こういう場面を作るならミンジはちゃんと証明書を持ってるのに、受付女が面倒くさがって、もしくは意地悪で面会を認めないという状況下に正義の人として局長が現れるという風に作るもんだがなあ。

テレビでしゃべらないミンジ、緊張しているということなのかもしれないが、顔も相まって、不機嫌で不遜なように見えてしまう
司会者は洗練された美女。ここれは現代中国風。
それを撮影しているテレビカメラがソニー製。またそのすぐ後に出てくるホエクーがその場面を見ているテレビもソニー製。
ただ偶然そのテレビを見ているホエクーが居候している料理屋の女主人ってのも都合が良すぎではある。ミンジが紹介されたテレビを見て、すぐホエクーのことだとわかり、外へ出てホエクーを呼んでそのテレビを見せた。偶然見ていたのは人気番組だからということか、そしてホエクーのことを気にかけており、すぐ気づいたという設定か。

俳優として素人を使ったドキュメンタリー風映像で、そういう風なところで評価されているのだろうか。自分の価値観とは大きく異なった世界があるという意味合いで。
批判めいたことばかり書いたが、非常に好意的な意味で印象に残るどこか惹きつけられる作品であった

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トゥルー・グリット [映画]

2010 アメリカ 評価S
09/26(月) 21:00 -
NHKBSプレミアム|112分

無茶苦茶良かった。西部劇。少女を主人公にした異色作。「1969年のジョン・ウェイン主演の名作西部劇映画『勇気ある追跡』のリメイク、チャールズ・ポーティスの同作品の原作小説の再映画化である」とのこと
出だし30分くらいで夢中になった。その少女というのは「大草原の小さな家」のローラみたいな子で、その少女が大人たちと真っ向から話をしてやり込めていくあたりが痛快。
西部劇が廃れて、そこからもう何十年も経って後、新たに作るというのはそれなりのアイデアがあったり、もしくは思い入れがあったりでちゃんと作っているということで良い作品が多いのではないかと思った。新しいアイデアとは女性を主人公にしたりということ、思い入れというのは、オーソドックスな作りだとしても、これまでの西部劇の歴史を踏まえた作りになるというようなことだ。

悪人と対決する最後の方はちょっと拍子抜けする部分もあった。まずマティが最初の快活さから、ちょっとずつ変化していくところ。最初ラビーフと一緒に組むことをこっぴどく断ったのに、ラビーフとルーベンが揉めると、ラビーフの肩を持つ。まあ旅の結果心が通じ合うというのはアリではあるけど。
そしてそれより、敵方に捕まり怨敵チェイニーと二人になると、私が供述書を書いてあげるからうんぬんなどと言い出すところ。もう手も足も出ない状況だからひよったか。
ここらへんからルーベンと敵方の1対4の闘いになるあたりまでは前半の出来に比べてちょっと弱い。ただこの後のルビーフの遠くからの加勢、チェイニーの逆襲、マティがチェイニーを撃ち、その銃の威力で穴へ落ちるという展開はめまぐるしくも面白い。そして本当のラストの25年後・・・というのはしんみり。だけどナレーションの「ラビーフはいま生きていたら80歳くらい」というのはどうなんだ。じゃあ本編では55歳だったんか

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カンバセーション…盗聴… [映画]

1974 アメリカ 評価SS
06/29(水) 13:00 -
NHKBSプレミアム|115分

監督 フランシス・フォード・コッポラ
まったく個人的な体調の問題でしばしば眠くなってしまい、途中で中断したりしたのだが、内容は凄い作品だった。その眠ってしまったことも理由だが、ちょっとわからないところもあったけど。
まず映像、カメラワークが凄い。冒頭の誰に焦点を当ててるのかよくわらかない空中からの映像。それが多分公園内の道化師を追っていることがわかり、これが登場人物なのだろうと思っていると、途中から違う人物に焦点が移る。上からだが、これ多分主演のジーン・ハックマンじゃねと気づく。それ以降もその公園内での映像では、本筋である盗聴されてるカップルがカメラの焦点でありながら、何やら意味ありげな、しかし関係ないのかという人物が映り込むあたりもとても良い(これは盗聴グループの一員)。
その映像とテーマ音楽のメロディに不協和音が含まれるピアノ曲が相俟って、非常に心理的には不安感が高まる。テーマ曲はオリジナルだろうか。最後のクレジットの使われた曲一覧にデューク・エリントンのソフィスティケイティッド・レディというのがあったが、今聞いてみたら、この曲ではないな。
あ、あと、音だな。盗聴された音が、非常に聞きづらく流される。苦労して盗聴したがこの音質というような意味なのだろう。それが何度も流れるのも不安感が増す効果。その音質のテープを色々調整して聞けるようにするというところも盗聴技術の一環なのだろう。
映像のレベルの高さはこの後もしばしばあるのだが、特筆に値するのはラスト。主人公ハリーが自分の部屋でサックスを吹く場面に続いて、自分の部屋が盗聴されているらしいことを忠告され、部屋を破壊し、そして破壊された部屋で再びサックスを吹き始める。カメラは彼と破壊された部屋の全景をいったりきたりで映し出す。

ジャンルはサスペンス。サスペンスとしては筋はそれほど複雑でなく、筋でどきどきするようなところは少ない。また、ハリーが以前の仕事で盗聴した相手がその後殺されてしまったことを後悔しており、そのことから今回の件が気になってしまっているというのは凄腕の盗聴師としては動機が弱いような気もする。
サスペンスの面よりも、人間が持つ孤独であるとかそういうところが迫って来るところに惹かれる。この時代のアメリカ映画の匂いがプンプンする。ジーン・ハックマン凄い名演。
技術の進歩の面からみると、最高級の盗聴技術と言われてもレトロ感が濃厚に漂う。いま、この手の作品作るなら全然別のものが出来上がるだろうなと思った。ただ先に書いたように、この作品はそこよりも、人間の孤独感とそこからくる狂気のようなものを描いたところが凄いのだけど

大ブレイクする前のハリソン・フォードが出演。端役でなく結構出番の多い役

わからなかったというのは、結局盗聴を依頼したのが何ちゃらという会社の専務(彼はセリフで出てくるだけで姿をなかなか現さないが、最後に殺される場面と死体で出てくる(※)。ロバート・デュバルがカメオ出演)。で、盗聴の相手はその専務の嫁と浮気相手。この浮気相手もその会社の人間。専務の秘書(ハリソン・フォード)というのが、ハリーに執拗に専務はいないから俺にテープを渡せと言う。
で結局妻と浮気相手で専務を殺してしまうのだが、じゃあ、この専務の秘書ってのはなんだったんだろう。殺した側と内通していて、専務の盗聴依頼を知って、なんとかテープを手に入れようとしていたってことか。専務の妻とつながっている専務の補佐役ねえ。ちょっと都合が良すぎる配置な気も。
※見直してみたら、ハリーが写真を渡して礼金をもらう場面でも専務は出ていた。この場面に専務の秘書も同席していた。ということはどうなんだろう。ますますよくわからないが、そこでのやり取りから推測すると、この秘書は専務の嫁側の人間で、浮気してるらしいから調査しろと専務にそそのかし、そして盗聴されてるのを知りながら、日曜にホテルで会うことを約束しあい、専務が訪れたところを殺すという段取りか。かなり込み入っているが、秘書と専務の会話からはそんな感じを想像できる。
さらに、ラストのあたり(専務の死後、会社から嫁たちが出てくる場面)も見直すと、専務が殺される場面が2パターンないし3パターンほど映されているが、これはハリーの頭の中の想像ということなのだろうか。

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S.W.A.T. [映画]

2003 アメリカ
07/28(木) 13:00 -
NHKBSプレミアム|120分

見る前に想像してたよりは面白かった。どんなのを想像してたのかはちょっと説明しづらいのだけど、あえて言えば警察を舞台にした派手なアクションシーン満載の作品で、主人公一人が活躍するというよりもチーム全体の活躍が見どころというタイプの作品。こういう作品はあまり見ないので類似作品を上げられないが、現代的な映像で派手なアクションシーンが見どころとなると、作品に深みは期待できない。
そんなことを思いながら見たのだが、作品のテンポが良く、予想通り深いところはなにもないのだが、ストーリーとアクションシーンで最後まで惹きつけられた。

“ホンド”ダン・ハレルソン巡査部長 サミュエル・L・ジャクソン
ジム・ストリート巡査 コリン・ファレル
クリス・サンチェス巡査 ミシェル・ロドリゲス
“ディーク”ディーコン・ケイ巡査 LL・クール・J
T・J・マッケイブ巡査 ジョシュ・チャールズ
ブライアン・ギャンブル巡査 ジェレミー・レナー
マイケル・ボクサー巡査 ブライアン・ヴァン・ホルト
アレックス・モンテル オリヴィエ・マルティネス
グレッグ・ベラスケス警部補[3] レグ・E・キャシー
トーマス・フーラー警部 ラリー・ポインデクスター

昔のテレビドラマのリメイク。ストーリーは新しいものなのだろうか。テレビドラマの総集編のように見える部分もある。本筋の一つの事件を追うという展開もあるのだが、それ以外の事件を手際よく、そして派手に解決する場面も挟み込まれる(スワットから外されて保管庫係になっていたストリートがそこで得意げに説明する壁に打ち込んでそれを車で引っ張り壁をぶち壊すという杭を本当に使う場面)。

難点もあるにはある。敵方に加勢するのが、ストリートの元相棒ギャンブルとT・Jという主人公スワットチームの一員。スワットの活躍を描くわりに、そこから裏切り寝返った人間が二人もいるとなると、ずいぶん士気の低い組織だと思えてしまう。もちろんそういうことを焦点にしたドラマもあるだろうが、これはそれとは違う。
ギャンブルは冒頭の銀行強盗事件で事件を解決したが、被害者を出したと責められ、上司のフーラーに外され、ストリートとも仲たがいし、退職したという経緯で、敵に加勢するのはわからないのでもないが、T・Jのほうはそんなに簡単に寝返るかねえ。報酬目当てだろうか。しかも同僚のボクサーが撃たれたことに衝撃を受け、ギャンブルに食って掛かったり、ラストで捕まった折にはボクサーの命を心配したり。だったら裏切るなっつう話だ。
また敵の大将、アレックスの組織はどれだけでかいんだと思う。飛行機を用意したり、橋を封鎖させてしまったり。

そのアレックスが護送される場面の最初で街の人々がなにかを歓迎している場面があるが、あれはなんなのだろう。アレックスが脱獄させてくれたら1億ドル報奨金を出すと言ったことで民衆に人気が出たということなのだろうか。

特に序盤に多かったが、アメリカ風の軽口でのやり取りがなかなか面白い。

序盤にストーンズの「シャッタード」が使われている

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あさひるばん [映画]

2013 日本
09/24(土) 18:30 -
BSジャパン|144分

監督がやまさき十三という『釣りバカ日誌』の原作者。釣りバカの松竹配給。また、関係からだろう、西田敏行の出演もある。
まあ気の抜けたコメディ。あまり面白くはない。
主人公3人組の間抜けな失敗というのがコメディの典型的場面で、序盤の脱獄騒ぎ、中盤の娘が誘拐されたと勘違いする場面と2か所あるのだが、そのどちらもがたいして面白くない。
その3人組は國村隼、板尾創路、山寺宏一。高校時代野球部にいた同級生という関係だが、國村が年長すぎるか。彼らを教えていた野球部の監督が西田敏行、國村は西田の方に年齢が近い気もする。
セリフで「あさ(國村演じる浅川)は昔から老けていたという風に説明はされているが。
國村はどの作品でも独特の間で演技をする。まあワンパターンともいえるが。
桐谷美玲、下手ではないが、見ていて不安になるたどたどしさがある。
西田敏行はとてもうまい。松平健もなかなかの存在感
上島竜兵だとか間寛平というコメディアンが出演。さらには無名のお笑い芸人も何人か出ている(これは浅川が小さな芸能事務所をやっており、お笑い芸人を抱えているため)
最後のクレジットのところでは、撮影風景らしき画像がたくさん出てくる。安孫子素雄らしき人が映り、あれっと思ったら、そのタイミングでspecial thanks:藤子不二雄Aと出た(北見けんいちの名前もあった)

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ザ・ロック [映画]

1996 アメリカ 評価S
09/22(木) 13:00 -
NHKBSプレミアム|138分

アルカトラズ島を舞台にしたアクション映画。今では観光地のアルカトラズ島で観光客を人質にした立てこもり事件が起きる。事件を起こしたのは現役海兵隊の一隊。それを救出しに行くSEALsの作戦に主人公二人が同行するという構図。
素晴らしい出来。

主演はショーン・コネリー、ニコラス・ケイジ
両方とも良い。
ショーン・コネリーは元イギリス諜報部の人間でFBIから重要フィルムを盗んだとして裁判にもかけられず、牢獄の身のメイソン。しかしアルカトラズから脱獄したこともあるという経験からこの作戦に関わらせられる。そういう役なので、画面になかなか登場しない。冒頭はアルカトラズに立てこもる海兵隊の様子。そしてもう一人の主役であるニコラスの人物紹介から事件へ関わっていく経緯が描かれ、その後ようやっと、事件解決のためということでメイソンが登場してくる。髪は手入れもしてない長髪で異様なほどの存在感での登場。その後散髪もされ、持ち味であるダンディな感じに変身はするのだけど。
ニコラス・ケイジ。この人の作品は少ししか見てないし、あまり興味もなかったのだが、ここではいい役柄でもあるせいか、とても良い。この人の持ち味の一つなのかもしれないが、微妙にコメディ要素がちょこまかと出てくる(役柄のせいもある)。アクション映画の主役はそのアクション(ガンアクションだとかか―アクションだとか)がお手の物という設定をされるのが通常であるのに、彼が演じるスタンリー・グッドスピードはFBI勤務だが、科学研究員でそちらの面ではスペシャリストなのだが、銃はほとんど扱ったことがないという設定。ここからコメディ的やり取りがいくつか起こる。ただコメディが前面に押し出された作品であると、そこを強調して、銃を扱えず失敗するが偶然にそれが敵に命中するなどの展開が連続するのであろうが、これはアクション映画なので、そういうやりとりがメインにはならないように作られている。
また立てこもっている海兵隊側にも十分肯ける大義があり、それゆえの物語というのはこの作品の魅力のもう一つの柱でもあり、ラストでの二転三転の展開を誘発している。
ちょっと残念な点を。
これはアクション映画で当たり前のことでもあるのだけど、そのアクションシーンがすごいアクションを見せることだけが目的になってしまっているような場面がいくつか。この映画は筋で十分魅力のある作品なので、ストーリーの面白さとアクションシーンの凄さが各々の場面で分離されているように思えた。
例えば序盤のか―アクションのシーン。結構凄いとは思ったけど。
そのカーアクションの場面について2点。メイソンがホテルから逃げ出し、それを追跡するという場面。メイソンの車をすぐに警察の車が何台も追いかけていくのであるが、スタンリーはホテルの前の客の車を奪って追いかける。さらにその車がダメになると、通行中のバイクを「FBIだ」といって奪ってさらに追いかける。こんなの許されるのかね。警察の車が必要十分なほど出動して追いかけてるんだから、わざわざ市民のものを奪ってまで追いかけるという必要性が感じられない。
また、スタンリーが銃を使い慣れていない科学者という設定なら、ここで華麗なドライブテクニックは見せない方が個性が際立ったような気もする。そう考えると、主演俳優の派手なカ―アクションをやりたいだけにも思える。

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真昼の決闘 [映画]

1952 アメリカ 評価S
09/22(木) 03:00 -
BS-TBS|105分

ゲイリー・クーパー主演、モノクロ
グレース・ケリー、リー・ヴァン・クリーフが出ている。オープニングのキャストクレジットではゲイリー・クーパーが最初にでかでかと出て、後は6人ずつくらいで同じ大きさの文字。グレース・ケリーも目立つようには出ていない。
調べてみるとグレース・ケリーは映画2作目、リー・ヴァン・クリーフはデビュー作とのこと。
そのリー・ヴァン・クリーフ、映画のオープニングでいきなり映る。
作品は西部劇にはちょっと珍しい感じの派手なアクションシーンは少なく(ガンアクションはラストだけ)、ストーリーで魅せる。いや、ストーリーも単純だ。ストーリーと言うより主人公の心理や複雑な立場というところが見せ場だろう。
という感想で、ウィキを見ると大層名作で重要な作品らしい。アカデミー賞も主演男優賞を含めいくつか受賞している。
先に書いた主人公の立場が見せ場というのは間違っていなかったようで、主人公のウィル・ケイン(ゲイリー・クーパー)は保安官でそこへ仕返しにくる男を迎え撃とうとするが街の人々の反応は彼に出て行ってくれというもので、孤立無援の中、彼の取る行動は? というところが見どころ
オープニングは保安官であるウィルが結婚してそれと同時に保安官を辞め、街を出ていくというもので、その新妻、エイミーをグレース・ケリーが演じている。
そこへかつてウィルが捕まえたフランク・ミラーの弟と二人の手下が街へ入り、なんとフランクが釈放になり、迎えに来たということがわかる。この3人のうちの一人がリー・ヴァン・クリーフで、最初に映ったその場面は、そこへ仲間が集ってきて、街に乗り込むという場面。
フランクが戻るとなると、ウィルは立ち向かわなくてはならないという責任感が沸きあがり、旅を中止し街に残ることにする。
ところが、街の反応は、ウィルさえいなくなってくれればフランクもなにもしないかもしれないので出ていくってくれというものが大勢。もちろん、ウィルに感謝する声もあれば、ウィルが来る前のフランクたちが暴れていた活気のある時代が好きだという声もあるのだが。

ラストの撃ち合いも単純で見やすい。フランクの乗ってきた電車でエイミーは旅立とうとするが、銃の音を聞き、電車から降りて街へ戻る。ウィルは二人を殺したものの追い詰められている。エイミーは、銃を持ちウィルへ加勢、一人を後ろから撃ち殺した。
しかし、残ったフランクにエイミーは捕らえられてしまい、ウィルを呼び出す。ウィルが出てくると一瞬の隙を狙いエイミーはフランクから逃げ出し、そこをウィルが撃つという、ありきたりな決着。

そこへ街の人々が集まって来るが、ウィルは保安官バッチを投げ捨て、馬車に乗って夫婦で立ち去る(予定の旅へ発ったということなのだろう)というラスト。そこで街の人々との会話はなく、殺伐とした雰囲気

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華麗なるギャツビー [映画]

2013 アメリカ
09/19(月) 20:30 -
NHKBSプレミアム|143分

原作はF・スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』。これまでにも何度か映画化や舞台化されており、私は以前に1974年版(以下旧作とする)を視聴している。そこでは主演がロバート・レッドフォードだった。
今作ではギャツビーを演じるレオナルド・ディカプリオが主演。物語の語り手はニック・キャラウェイで演じるのはトビー・マグワイア。どっかで見たなあと思ったら、スパイダーマンの人。

なんといったらよいのか。力の入った作品だとは思うし面白かったが、豪勢な衣装やセット、撮影技術が逆に安っぽい感じになっていた。
ギャツビーが姿を現すまでがかなり長く、登場の場面で「ついに」という風情で出てくるのは旧作と一緒。今回は新しく作られた作品でディカプリオが出てくるのは当然認識していたが、そこまでが長くて、旧作と比較する感じで見ていたので、レッドフォードが出てくるものとばかり思っていて、そこに、太り気味にそして不気味ににやけたディカプリオが出てきたのでちょっと笑ってしまった。ディカプリオってもうあまり格好良い見てくれじゃないからな。
旧作のことをほとんど覚えていないのだが、それでも見ているうちに、個々のエピソードのどれもを、「ああ、これもあった」と思い出した。その点ではほとんど網羅しているのではなかろうか。
ただ、ずいぶん違った印象でもある。
旧作は話の語り手はニック・キャラウェイだったであろうか。そこは覚えていない。
今作は「紙芝居」的とでもいおうか、「舞台演劇」的とでもいおうか、「ミュージカル」風とでもいおうか、なんといえばよいのかよくわからないのだが、なぜか中谷美紀の「嫌われ松子の一生」を思い出した。こちらもほとんど覚えていないのではあるけど。
嫌われ松子って物語の語り手はいたかなあ。まあとにかく、一生であるから長い時間からいくつかのエピソードをつまみ出し、それをつなげていく風に書かれていた。
今作はニックの回想とともに、いくつかの出来事がピックアップされ、ナレーションがストーリーを語りながら、そのエピソード一つ一つを取り上げていくパターン。今書いていて思ったが、松子のほうが長い時間だが、こちらの作品はほんの短い期間のことだな、描かれているのは。
紙芝居的というのは、この辺で、講釈師が物語を語りながら、印象的な場面で映像をめくっていく感じなのだ。
ちなみに、もう一つ両作品は似ているところがあって、それは原色を前面に出した派手な色使い。
舞台演劇的というのは、紙芝居的に付随していることであって、演技、映像ともにリアルでなく、客に向けている感じが強い。
ミュージカル風というのも同じような意味でもあり、また序盤、中盤で音楽に合わせる場面がいくつかあったから想起したのかもしれない。
音楽といえば、ラップがかかる。作品の時代背景とは合わず、この時代特有のスイングジャズにしておけば良いのにと思ったが、そこも原色強調の色合いと重なり合い戯画的な効果はある。
ラストのクレジットを見たら、ジェイ・Zだとかカニエ・ウェストの名があった。また多くの曲でブライアン・フェリーの名があった。まだ活動してるんだねえ。
旧作ではうろ覚えだがギャツビーの父親がニックを訪ねてくるというような場面もあったような気がするが、こちらはギャツビーが死んでおしまい
旧作でもそういう場面があったが、いまいち意味がわからなかった、ジョージとマートルが住んでいる場所の特徴的な看板がこちらではかなり効果的に取り上げられていたと思う。またその場所がギャツビーやトムが住んでいるところとニューヨークの間の貧民街のようなところということも今作品で理解した。
こんな場面旧作にあったかなと思った場面もいくつか
例えば、ギャツビーとデイジーの再会の茶会の場面。ギャツビーが約束の時間直前に取り乱し、かなりコミカルな行動をとるところ。レッドフォードだとどんな感じになるんだろう。見直したいが録画は残っていない



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