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眼下の敵 [映画]

1957 アメリカ・西ドイツ
12/13 BS日テレ

見始めたが序盤は冗長で退屈。ちょっとウィキを見てみれば、「ロバート・ミッチャムの代表作」などといくつかの賞賛の言葉があるが、どの辺が名作なんだろなどと思う。が、終盤、Uボートがヘインズに攻勢をかけるあたりからは劇的な展開が続き一気にラストまで。前半はこの最後のためのダレ場か。
戦争映画。海上にいるアメリカの駆逐艦「ヘインズ」と海中にいるドイツの潜水艦「Uボート」の対決。この2艦の戦中の様子のみが交互に描かれるという形式で、そこは異色な作りと言えるかもしれないが、話に展開が少なく退屈に感じたのだろう。例えば登場人物の家族の様子だとか、アメリカやドイツの司令部の様子などは一切描かれない。せりふで出てくるのみ。
主要登場人物は両艦の艦長。ヘインズのマレル艦長、演:ロバート・ミッチャムとUボートのシュトルベルク艦長、演:クルト・ユルゲンス。もちろん周りには部下がいるが、究極的にはこのふたりの対決。
終盤の、劣勢であるUボートが奇襲のような形で反撃し形成逆転、しかしヘインズも相手を騙す作戦を取り、お互いが騙しあいのような形になる。ここからラストまでは一気。交わらないと思われた両艦の艦長が目を合わし敬礼を交わし、そして助けあう場面へと続く。

使われる言葉がドイツ軍のほうも英語。ここはちょっと変。
両方の艦長の対面の場面で「英語わかるか」とマレルが言っている場面があったりもするが。

相手をやっつけるため死力を尽くしているのに、最後には助け合う。戦争の無意味さを強く感じさせる。

ヘインズ号から垂らされた釣り糸をカメラが追い、そのまま下へ潜るとUボートがいる場面は秀逸。

ナチスを嫌ってると思われるシュトルベルクが船内のナチスの標語をいまいましげに眺めタオルをかけて、一部見えなくさせるというような場面にも反戦の意思が見える。

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さらば愛しき女よ [映画]

BSプレミアム4月22日(金)午後1:00〜2:36

レイモンド・チャンドラーの傑作小説を映画化し、名優ロバート・ミッチャムが孤高のヒーロー・フィリップ・マーロウを演じるハードボイルド・ミステリー。1941年のロサンゼルス。ある女性の調査を依頼された私立探偵マーロウは、わずかな手がかりをもとに行方を追う。調査が難航するなか、マーロウは次々と事件に巻き込まれ、命まで狙われる。警察にも追われながら、事件の核心に迫る。共演はシャーロット・ランプリング。

【製作】
ジョージ・パッパス、ジェリー・ブラッカイマー
【監督】
ディック・リチャーズ
【原作】
レイモンド・チャンドラー
【脚本】
デビッド・ゼラグ・グッドマン
【撮影】
ジョン・A・アロンゾ
【音楽】
デビッド・シャイア
【出演】
ロバート・ミッチャム、シャーロット・ランプリング、ジョン・アイアランド、シルビア・マイルズ、シルベスター・スタローン ほか

製作国:
アメリカ
製作年:
1975
原題:
FAREWELL,MY LOVELY
備考:
英語/字幕スーパー/カラー/レターボックス・サイズ
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登場人物が多く、場面展開するごとに新たな人物が出てきてストーリーとどうつながるか意味の取りにくい展開が続き、なんかよくわらかないなあという感じが続く。いや、ストーリー的にはつながっているのだが、見進めて後から考えるとさっきの人物は、そして場面はなんだったんだみたくなっていくのだ。まあここらはラストまで行くとすべてつながっていたことはわかるのだが。

特に最初の場面でマーロウが刑事のナルティと対面するのだが、そこでマーロウが回想を語りだすというような演出があり、それが頭にありながら見ていくと、いつその回想語りが終わったのかよくわからず、そうこうするうちにまた刑事が出てきて、それが最初にでてきたナルティのようで、あれっもう回想語りは終わったんかいな、いつの間に、と思い見返すと、どう見てもその回想語りが終わったというような演出がなく、混乱する。
結局これは作品の終盤までが回想語りであり、その回想にナルティも出てきていたのであった。

ロバート・ミッチャムは個性的な面相で好きな俳優だ。

途中スタローンが出てきてちょっとびっくり。明らかにチョイ役っぽい登場、娼婦の館の用心棒ながら、顔のどアップで、どうみてもスタローン。あれっと思い確認したらやっぱスタローン。調べてみると今作では脚本も担当しているようだ。
出演場面はその登場のところと、店の女とヤっているところを女主人に見咎められ、その女主人を撃ち殺してしまうという場面のみ。

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狼よさらば [映画]

1974 アメリカ 
4/22 BSフジ 115分(上映時間・93分) 吹替版

チャールズ・ブロンソン主演。筋は雑に思える。ブロンソンを楽しむ映画。音楽がハービー・ハンコック。当時はブラックパワーが映画サントラにも席巻した時代で、それに沿った感じの格好良い音楽だ。

最初だけだが、吹替の声があまり似合わないなあと思った。じゃあどんな声ならいいかと言われるとわからないし、すぐ慣れたが。

Death Wishシリーズの第1作で、1994年の第5作まで作られる。長い期間で5作も作られたということはそれなりに好評だったのだろうか。B級映画のように思えるが。
チャールズブロンソンを楽しむ映画だと思う。そして私はファンであるので充分楽しめた
このシリーズの第3作を先日視聴したときに、なんとなく、このシリーズの概要を見ており、この第1作で妻子を殺され自警団になったというようなことは知っていたのだが、今作は結構予想外の展開ではある。
設計士ポール・カージーが主人公。「妻子が殺され」ではなく、妻子が押し込み強盗に襲われ、妻は死んでしまう。娘は犯され、精神がおかしくなってしまう。カージーは復讐に燃え、犯人に仕返しするのかと思いきや、出張で南部へ。そこで銃で自分を守る伝統を見聞し、さらに仕事相手から銃をプレゼントされ、そこでニューヨークに戻り街で悪さをしているギャングたちを処刑していくという話。
警察が捕まえられない犯人を自分で追い詰め処刑する、とか、警察が犯人を見つけたがなんらかの理由で捕まえられないことに憤慨し、自ら処刑するとかそんな展開を予想したのだが。
手当たり次第に、そして自分がわざと襲われ、襲ってきたチンピラをどんどん私刑にしていくというなんとも大雑把。
暴力が溢れているニューヨークという設定で、そこへチンピラを逆に処刑するカージーは「まぼろしの狩人」と名付けられ市民は喝采を送り、警察はその行為が認められないものの、捕まえることにも躊躇し、そしてニューヨークを追放しようとするという展開。
最後カージーも相手に撃たれ負傷し病院へ。そこへ駆けつけた警部がニューヨークから出て行くように諭し「狼よさらば」とつぶやく。これが言いたかっただけに思える。
ちゃんと見てないからでもあるのだが、妻子を襲った犯人はどうなったのだろうか。カージーが処刑した中にいたのかな。

冒頭はラブラブの夫婦の様子。無表情のブロンソンにも微妙に笑みがある。
序盤の妻子が襲われる場面での襲ってくるギャングは、もういかにも悪という感じの外見と言動で見ていて笑っちゃうほど。こういう分かりやすいのは良し悪しであるが、こういう作品ではこれもまた良し(第3作もそういうわかりやすい人物像だった)。

不自然なのは、カージーが私刑を開始しだしてすぐに警察が犯人像を家族が襲われ殺された人間による復讐だとしたこと。そんなに簡単にわかるかねえ。

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スパイダーマンシリーズ [映画]

2002 アメリカ
日テレ「映画天国」4/12,19,26(シリーズ3本) 字幕版

シリーズ第1作
上映時間121分、録画時間119分
スパイダーマンの映画は今回見た監督がサム・ライミ、主演がトビー・マグワイアのシリーズが3本、2012年の「アメイジング・スパイダーマン」のシリーズが現在2本作られている。
そして映画天国では前者3本を、日テレの金曜ロードショーの枠で後者2本を放映中だ。
シリーズ物全部放映という企画にどうも自分は弱く、大して興味もないのに見てみようかと思い録画した。

録画できてるかの確認のような意味で、金曜ロードショーの物をちょっと見て(吹替版だった)、こちらも確認がてら覗いたのだが、つい目を離せなくなり、一気に見終えた。すぐ気が逸れる自分としては珍しい。
といっても超傑作というほどのものはなく、ただ気を逸らさない巧みなストーリーだったと思う。

スパイダーマンというもの自体を自分は名前しか知らない状態で見ており、途中まではこのスパイダーマンがヒーローになるのやら悪役になるのやらもわからず、まずそこが興味を惹いた。
見終えてみて、大まかな構成はスーパーマンとの類似に気付く。ヒロインはヒーローに惚れ、ヒーローの元になる男はヒロインに彫れというあたり。そしてヒロインはヒーローの実像を知らず、しかし知るヒントがちょこちょことあり、それに気付きそうになる(今作品ではヒロインとのキス)というあたりもそう。

ヒーローになるのかならないのかという点では、スパイダーマンになっての最初期の行動が何をやっていいのやら力をどこに注いでいいのかわからずに行動しているからだろう。育ての父親である叔父と主人公・ピーターの関係にもそれが現われている。この叔父との関係(叔父の忠告をピーターが跳ね除ける)は物語の全体からするとあまり大きく取り上げる必要もないのだろうけど、自分にはちょっとキュンとした。そしてその部分が伏線となり、ラストで回収されるあたりも良い。
またその叔父の言葉「大いなる力を持つものはその責任も持たねばならない」というのが、スパイダーマンの行動原理となっているように見えるのも大事な部分だろう。
この台詞から叔父はピーターの力の何かに気付いていたのだろうか。

見せ場であるアクション、全部が良いというほどではないが、ラストの方の、敵がヒロインと子供が乗っているロープウェイ両方を人質としているのを助けようと空を舞うスパイダーマンの映し方の角度がダイナミックで良かった。

スパイダーマンというのは、調べてみると、スーパーマンなんかも同様であるがアメリカンコミックが元であり、そういう意味では漫画の実写化というものなのであるが、日本の漫画・アニメの実写化とは自分の感じ方は大いに異なる。漫画・アニメのほうの実物を知ってるかどうかという違いだろう。スーパーマンなんて自分は映画しか知らんもんな。
そういやヒロインとスパイダーマンがキスをする場面、その直前で敵と戦うとき、顔のマスクがなくて素顔を晒しているがあれはどういう演出なんだ。ヒロインのMJはそれに気付いているようではないようだし。

「映画天国」は前回書いたように、最初の紹介は落語家でいくようだ

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スパイダーマン2
上映時間127分、録画時間119分
前作よりはストーリー的には落ちるかな。
キャラクターは多分ほとんどの役者が前作を引き継いでおり、すんなり入れる。
見ながら特撮について考えていた。これがルパン実写だと、どれだけ再現できているかというところに注目が行くが、この作品だと思い入れが全く無いからそこには注目しない。
そういうとき、どのように鑑賞しているかと言えば、あまりにも酷い出来の特撮だとそこに目が行ってしまうが、そうでなければ特別なにかを感じない。というよりも良く出来ていて当たり前で、そういう技術を下敷きにストーリーをうまく見せることが重要だと思う。
あまりそういう場面、つまりは特撮の技術ばかりが見せ場なものははっきり言って好きではない。だって凄いからどうしたのってなっちゃうから。
と言いながらもこの作品の見せ場の一つが特撮部分だろう。いやそれが唯一と言ってもいいかもしれない。そしてそれが特筆したくなるようなかなりの出来。全編に現われる、スパイダーマンが糸を駆使してビルの谷間の空間を駆け抜ける(駆けるというか飛んでいるのだが)姿を色々な角度から捉える場面は迫力あり。
さらに、今作での敵、ドクター・オクトパスとの闘いの場面は2回あるが、それもどちらもなかなか凄い。

前作での叔父さんとのやり取りについて先に書いたが、今作ではもう死んでいる叔父さんが思い出話を語るなどの場面でかなりの分量で描かれる。新たな撮影部分もあるのかな。夢の中でピーターと語りあうような場面もある。
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スパイダーマン3
シリーズで出来は一番悪いように思う。スパイダーマン以外にモンスターが3人出てくることで話が取っ散らかった印象。最後まで見ると大団円で、取り残されたような伏線はないのではあるが、最初ハリーがモンスターに変化しスパイダーマンと対決したものの、その後それが置き去りになっており、気になって仕方なかった。
各モンスターに見せ場を作るために話に集中できない。前作ではとても良かったと書いた対決などモンスターたちの特撮部分もここでは特筆するようなものでなかった。
前作でも既に亡くなっている叔父さんのエピソードがあったが、ここでも叔父さんを殺した真犯人がスパイダーマンの敵として登場する。が、ラストで叔父さんを殺した真相みたいのを語るのは不要に思えた

上映時間139分録画時間119分
カメラマンとしてピーターと競っていたエディがピーターとの対決との際にグウェンをお前は奪ったうんぬんと言うが、以下のエピソードのうち、エディとグウェンが付き合っていたというあたりがカットされていたようだ(※追記。再度見直すと、台詞でエディがグウェンと付き合っていると言っているし、ピーターとグウェンがMJの働くジャズクラブへ行く場面もあるが、エディから彼女を奪ったというようなことが強調されていないため気付かなかった。たぶんそこらへんがカットされているように思う)
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『スパイダーマン3』ではブライス・ダラス・ハワードがグウェン・ステイシーを演じた。ピーターと同じくカート・コナーズ博士(英語版)の量子力学のクラスに出席する学生である彼女は、ピーター・パーカーの新しい恋人候補であり、メリー・ジェーン・ワトソンの潜在的なライバルであった。グウェンはクレーンの事故によって破壊されたビルから落下しているところをスパイダーマンから助け出される。彼女は『スパイダーマン』と同じように逆さ吊りのスパイダーマンとキスをし、結果、メリー・ジェーンを怒らせることとなった。彼女はまたエディ・ブロックと友人であり、写真のモデルにもなったが、シンビオートの影響を受けたピーターが彼女を奪うと関係は終了した。ピーターはメリー・ジェーンが働くジャズクラブでグウェンと踊るが、ピーターがメリー・ジェーンの嫉妬心を煽るためにそうしたことを理解するとグウェンは彼女に謝罪し、その場から去った
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バック・トゥ・ザ・フューチャー [映画]

2/8、15、22 NHBS

シリーズ3作をまとめて視聴。1はこれまでに何回か観たし最近も1回見てる。
2と3は初見
それぞれの制作の時期と内容を見比べるとなかなか興味深い。1はシリーズ化を見越して作られているわけではないが、1のラストは2の導入部になっている。2と3は同時制作でひとつの作品だと長すぎ、それをカットされそうになり、2本の独立した作品にしたとのこと。であるから2のラストが3の導入になっているのも当たり前といえる。ただ作品内容は2と3で相当に独立している。ただ2で次の時間の旅へ出発し3のラストで同時代に戻るという結末なので、そこだけ見ると2と3合わせて大団円という気にもなってくる。
さて以上のことから、1と2,3で重要な登場人物を演じる俳優が2名交代している。ジョージ役とジェニファー役だ。1のジョージ役のクリスピン・グローヴァーのこの件に関するエピソードはウィキに詳しい。
ジェニファー役は1ではクローディア・ウェルズ、2,3ではエリザベス・シュー。1のラストと2のオープニングはまったく同じものを流用したのかと思ったが、ウxキの記述で新しく撮影されている場面もあるということで改めて見直すと確かにそうだ。ジョージ役のクリスピン・グローヴァーがここで流用されて使われている部分も混在しているようだ。

以下にちょっと変だなと思った箇所。
1での車のキーをマーティが持ったままトランクに閉じ込められる場面。なんでマーティがキーを持ってるのだろう。もしくはなんでトランクの中にキーがあるのだろう。
3のラスト近く。クララが乗っている列車を降りて街に戻り、さらに馬に乗りドクを追いかける場面がある。ドクとマーティは列車を強奪しそれを推進力としてタイムマシンを動かすという展開なのだが、あの列車ってクララが最初乗ってた電車だろうか。そうだとしたら、一度降りて街に戻り、馬でその列車を追いかけるというのは無理ではなかろうか。あれは違う列車かな。そうだとしても、列車から降りて徒歩で街まで行き、と考えるとちょっと無理そうに思える。
3のラスト。ドクとクララがマーティの前に現われ、そして過去で暮らしていることを言う場面。過去でタイムマシンを作ることに成功したついでに、単に挨拶に来ただけだろうか。
アインシュタインを連れ戻しに来たのだろうけど、最初から乗り込んでいるのがおかしいような。
そしてお金の件。全シリーズを通してなのだが、過去へ行ったり未来へ行ったり、その際なにかを購入しているような場面がある。例えば1での喫茶店での軽食、2でのスポーツ年鑑。貨幣は持っているのだろうか。シリーズ中のどこかでドクが、これから行く全時代の貨幣を用意してきたというようなことを言う場面があるのだが、それを用意している場面より前に先に書いた喫茶店の場面などはある。

以上、大したことではなく、またこちらの見落としもあるだろうと思う。

シリーズ内で繰り返される出来事。ひとつはビフやその系譜の人間が肥やしをかぶるという場面。
もうひとつはマーティが「ママ。怖い夢を見た」と起きると、各時代のロレインやそれに類する女性が応対し、マーティは夢でなかったことを思い知らされるという場面。

マーティは腰抜けと言われると怒るというキャラであるが、他ではチキンと呼ばれるが、3の西部劇時代の台詞では違う言葉だ。なんと言っているのだろう

日本関連ということで言えば、2ではイトウ・フジツウという人物が出てくる、これについてはウィキ参照。
またメイド・イン・ジャパンを見て、過去のドクが腐すと現代のマーティは最先端さと答えるというような場面もある。

クリント・イーストウッドが登場。
2では登場人物が映画を見ている場面(ウィキに拠ると「荒野の用心棒」。おれは「続・夕陽のガンマン」かと思ったんだが)。3では、マーティが自分を「クリント・イーストウッド」だと名乗り、多分大いにそれを活用したパロディがふんだんに盛り込まれていると思われる(おれはそこらに疎いのでよくはわからなかったがウィキを見ると結構指摘されている)。

1がやはり相当に良い。2は1のクライマックス、ダンスパーティの場面前後から時計台への雷を利用したタイムマシンの起動の場面、この場面の裏で実はさらにいろいろなことが起きていたという内容で、違う観点から撮影されているというようなイメージで作られていて、そこは非常によくできている。1で起きている1985年からきたマーティと1955年のドクの奮闘、それを横目に2で活躍している別の1985年から2015年を経過し1955年に来たマーティとドクがさらに奮闘しているというような内容である。1のファンにとってはとても楽しめるのだろう。

3はれまでの「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の精神で西部劇のパロディ的展開を存分にやったという感じか。

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プリンス訃報 [音楽]

パープルレインが多感な中学生くらいで、自費で初めて行った映画だったかと思う
特別に大好きではなかったんだと思う。同時期で言えばスプリングスティーンに熱狂。あとはストーンズとかね
その後数枚、というかパレードまではぎりぎりレコード購入

なぜか横浜球場のライブも見に行った、あとから知ったが最後のレボリューションのライブ
あれ、おれなんで見に行ったんだろう。プリンス好きな友達を俺から誘って見に行った

シーラEがオープニングアクトだったのと、最後の曲だったかでギターを2度ほどぶっ壊してたのくらいしか
覚えてない。最初の曲がバンドが姿現さずアラウンドザワールドだったかな


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サマータイムマシン・ブルース [映画]

評価 C
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BSプレミアム4月12日(火)午後9:00〜10:49

ある大学の夏休み。リモコンが壊れてクーラーのつかないSF研究会の部室に、突如現れたタイムマシン。軽いノリで壊れる前のリモコンをとりに“昨日”にタイムスリップをする部員たちだったが、過去の世界で起こした悪ふざけが未来を変えてしまうことを知り、元どおりにしようと奮闘するのだが…。京都の劇団“ヨーロッパ企画”の舞台を本広克行監督が映画化。主演・瑛太ほか、上野樹里、真木よう子出演の青春SFコメディー。

【製作】
堀部徹、泉英次、藤巻直哉、高野力
【プロデューサー】
安藤親広
【監督・プロデュース】
本広克行
【原作・脚本】
上田誠
【撮影】
川越一成
【音楽プロデュース】
北浦康史、西原たくや、安藤悠介
【音楽】
HALFBY
【出演】
瑛太、上野樹里、真木よう子、川岡大次郎、ムロツヨシ、佐々木蔵之介 ほか

製作国:
日本
製作年:
2005
備考:
カラー/レターボックス・サイズ
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タイトルに惹かれて観ることにした。ロックの名曲「サマータイム・ブルース」と「タイムマシン」をかけたタイトルだろう。
序盤というか、プロローグ、つまりはタイトルクレジット前が結構長く、そして意味がよくわからないまま進む。あまりにもわからないので、中断して解説を読んでどういう内容かを知る。見終えた今となると、ああいう作りもわかる。もう一度見直すとよりわかるのだろう。
タイムマシンのこれまで散々論じられているパラドックスと、大学生たちの怠惰でチャラい生活態度を組み合わせた作品。途中でタイム・パラドックスの恐ろしさを知り、過去を変えることを阻止しようとしだした3人にその恐ろしさがわかってない先に過去に来た3人は悪ふざけを繰り返すという場面があるが、少しイラッとくる。まあそれくらいよく出来ているということではあるが。
うまく矛盾を解消したような作りにはなっている。

ラスト近く、未来人・田村のカメラからフィルムを抜き取っている場面があるが、それの現像など、どういうものが写っていたかみたいなエピソードの結末話はないのだろうか。
また、柴田春華が田村の母親であることはわかったが、その結婚相手は誰なのかというのは不明のままなのだろうか。

真木よう子、他の俳優陣に比べ、相当年齢が上のような気がしていたが、そんなでもないんだな。瑛太とは同じ年齢、この映画の制作年の2005年には、23歳。真木よう子ってもっと長いキャリアの人かと思ってた。
今作品の主要登場人物で女性はふたり。真木と上野樹里。ずっと上野樹里の演じる柴田春華を真木かと思ってた(今の真木の髪形に似ている)。上野樹里についても多少顔は知っていて、柴田が何度もアップになるうちにあれっこっちは上野じゃねとなった。
真木よう子は今と全然印象が違うな

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花のお江戸の釣りバカ日誌 [映画]

釣りバカシリーズ12作目
時代を江戸時代に設定した作品。まあどうということはない。レギュラーの多くは出演してるが、主人公西田敏行演じる浜崎伝助が独身の設定であり、妻役の浅田美代子は出演していない。ヒロインが黒木瞳、浜崎伝助と恋仲になり結婚で作品が終わる。浜崎伝助の同居している妹が酒井法子。鈴木一之助の連れの数馬役が山田純大で、この二人も最後結ばれるかと思ったが、それはなかった。
この作品でレギュラーシリーズでの出番より圧倒的に多く、活躍してるのが中村梅雀。
加藤武、竜雷太、小野寺昭はレギュラーシリーズで鈴木建設の重役だが、ここでも庄内藩江戸家老・鈴木一之助を補佐する重役の役。
長屋の大家・谷啓。最後の結婚の場面で確か高砂やを謡っている。その後ミュージカル風になり、トロンボーンを持ち出す場面がチラッとある。
ナレーションは笹野高史。本編中ずっと、谷啓かと思ってた。

ちょい役のゲストが豪華。庄内藩の殿様が市川團十郎。
ミッキー・カーチスや鈴木ヒロミツがチラッと。
オープニングは仇討ちの場面なのだが、ここではダチョウ倶楽部の3人や駕籠かき役の大木こだま・ひびき、三倉茉奈・三倉佳奈(仇討ちを狙ってる兄弟)が登場する。上島竜兵が得意の西田の物真似を生かした役回り。マナカナは見ているときは多分有名な人なのだろうとは思ったが、クレジット見るまで名前はわからなかった。
その場面後の庄内藩江戸屋敷の場面で笑福亭松之助らしき人がチラッと映ったが、クレジットにもあったので、やっぱそうだったか。自分が確認した限りではほんとうにちょっとだけの出番

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バンド・ワゴン [映画]

評価 B
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BSプレミアム4月15日(金)午後1:00〜2:53

主演・フレッド・アステア、監督・ヴィンセント・ミネリの代表作。アステアふんする人気落ち目のダンサーは、友人夫妻が彼のために書き上げたミュージカルコメディー「バンド・ワゴン」を上演するが、大失敗。だがそこであきらめずに失敗の原因を考え、新しいショーへと作り変えて起死回生の再上演に挑む。「ダンシング・イン・ザ・ダーク」はじめ、名曲の数々と鮮やかな映像、華麗なダンスに彩られたMGMミュージカルの傑作。

【製作】
アーサー・フリード
【監督】
ヴィンセント・ミネリ
【原案・脚本】
ベティ・コムデン、アドルフ・グリーン
【撮影】
ハリー・ジャクソン
【音楽】
アドルフ・ドイッチ、ハワード・ディーツ 、アーサー・シュワルツ
【出演】
フレッド・アステア、シド・チャリシー、オスカー・レバント、ジャック・ブキャナンほか

製作国:
アメリカ
製作年:
1953
原題:
THE BAND WAGON
備考:
英語/字幕スーパー/カラー/スタンダード・サイズ
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NHKBSはあまりミュージカルをやらない。いや、この局だけではないか。割り合い放映しやすい、つまり政治イデオロギーもなく、問題になりそうな場面もなく、PTAの推薦になりそうなお行儀の良い、そして華やかで楽しい放映に適した作品が多いのだが、その割りにということだ。

アステアやジーン・ケリーの作品はほとんどがワンマンショーとでも言えそうな作り。ちょっと不満というか寒いのは主人公が常に善人でストーリー、演出面から盛り上げる。その感じが今で言えばジャニーズばりとでも言えそうな感じ。
この作品でもラストは劇団のボスであるアステアを劇団員もなが誉めそやすという場面だ。

ストーリーは単純明快、難しいところはなく、また予想できるような展開。まあ、そういうところを考えないで楽しめ、ダンスを魅せるというのが作品のやろうとしてることだからな。

ひとつだけストーリーで裏切られたと思ったのは、最初のショーで失敗した後、演出家のジェフリー・コルドバは抜けるのかなと思っていたが、演出を降り、そのまま劇団に残ったところ。
それ以外は、トニーがジェフリー・コルドバの演出に納得してないところや、トニーとギャビー・ジェラードの反発しあいながらも惹かれあうという展開はわかりやすい。

巴里のアメリカ人に出てたオスカー・レヴァントがここにも。この人は顔に特徴があり、すぐわかる。

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スーパーマンシリーズ、2~4 [映画]

スーパーマンII
1980 アメリカ
スーパーマンIII/電子の要塞
1983 アメリカ
スーパーマンIV/最強の敵
1987 アメリカ

BS朝日、3/26、4/2、4/9。なぜか放映順は4、3、2の順。一通り観たが、普通に2、3、4の順で放映したほうが良く、なぜこの順番なのかわからない。
放映時間119分のため、2と3ではカットあり。全部吹替版
作品の出来は4は悪い。1と2は比較的楽しく見られる。3はリチャード・プライヤーが出演しててコメディ色が多少強く、また演出やストーリーが他の作品とはかなり異なるように思う。
全体を通してのキャストやスタッフについての気付いた点
全作通してのキャストは、主演のクリストファー・リーヴ、ロイス・レーン役のマーゴット・キダー。他に新聞社の同僚とか編集長は4作とも同じっぽい。
1作目の敵であるレックス・ルーサー役、ジーン・ハックマンは2作目と4作目に登場。2作目の最後で死んだんじゃなかったっけ。覚えてないや。
2作目の冒頭キャストクレジットでジーン・ハックマンが最初に出ている。当時のクリストファー・リーヴと比較しての知名度の差だろうか。4のウィキ「これまでジーン・ハックマン、クリストファー・リーヴの順にクレジットされていたが、本作のオープニングで初めて両者が逆転してクレジットされた」

クリストファー・リーヴは4作目のストーリー原案に加わっている
1で音楽を担当したジョン・ウィリアムズが4でも担当している

マーゴット・キダーは1作目は非常に可愛らしかったのに、2ではそれを感じず。2ではクラーク・ケントがスーパーマンだとわかり、恋人にもなったというストーリー。
3は最初と最後にだけ出てくるのだが、恋人同士であるようにあまり見えず、ケントと故郷の女友達が恋仲になるという展開。
4ではまたストーリーにガッツリ絡む役柄であるが、ケント=スーパーマンという設定を知らないでいるように見える。のだが、スーパーマンの本当の名前を知っていたり、なぜかそこらへんが、どういう風に認識しているのかわかりづらい。

各作品についての短い感想
2。ちょっと稚拙に思えるのは、スーパーマンがその超人的な力を捨て去り人間としてロイスとともに生きる決心をするが、そこで街に戻りすぐスーパーマンに戻る決心をするところ。もうちょっと人間としての生活を描いてもよかった。もちろん、それは地球を守るためみたいな大儀のためストーリーとしては難はないのだが。そしてあの氷の世界に戻りスーパーマンに戻りたいとい訴えるのだが、あの氷の世界はどこなんだろ、まあとにかく超人的な力のないケントがすぐにそこに行き着けるのは変に思う(トラックにヒッチハイクする場面なども挟み込まれるが)。そして、あれだけの決断なのに、スーパーマンにあっけなく戻れちゃうのも変てこ。
そういや、序盤でのレックス・ルーサーの脱獄からその氷の世界に辿り着きスーパーマンの秘密を知るという展開もなんだか変てこ。
3。
冒頭は町中の様子を映していて、ひとつなにかが起こるとそれに連鎖して色々なところに騒動が飛び火していくというドタバタコント。これが結構長く続くのが異色。
コメディ色がいくらか強い。ひとつ印象に残るのはピサの斜塔のエピソード。正義の味方を止めたスーパーマンはピサの斜塔をまっすぐにしてしまうのだが、作品の最後で、それを斜めに戻すというのはクスリとくる。
中盤でスーパーマンが正義の味方を止めるという展開になり、しばらく敵方の情景でストーリーが展開していくところとそれに続いて、悪になったスーパーマンとケントが戦う場面(これが結構長い)が冗長。後者は見せ場の一つなんだろうし、ストーリー的にも悪になったスーパーマンを倒し正義の味方に復帰するという盛り上がりの場面であるのだが。
正義の味方を止めたスーパーマンが描かれてる場面は皮肉も効いてて多少面白い

4。
核兵器廃絶、軍拡競争への批判など、多少イデオロギーが前に出ている。といっても1でも2でも核爆弾という素材は扱っているのだが。
とくに国連でのスーパーマンの演説の場面はつまらん。圧倒的な力で人類の作り出したもの(核爆弾だが)をすべて処理してしまうということを宣言してしまうのだが、それが核爆弾を絶対悪としていることを物語っている。
絶対正義と圧倒的な超人的力、そして絶対悪を規定してしまうという単純な構図がつまらない。
ケントの勤める新聞社を買収した男の娘・レイシーはケントたちとは敵対する関係として登場するが、割りとすぐ改心してしまうのがあっけない。
そしてレイシーはケントに恋をし先にも少し書いたがロイスはスーパーマンの方に恋をしている。レイシー、ロイス、ケント、スーパーマンでダブルデートをする場面、これは今作品での見せ場のひとつであろうが、冗長でつまらない。
またスーパーマン対ニュークリアマンの対決が2回あるが、1回目の方も長いだけでつまらない。

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