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青春群像 [映画]

1953 イタリア B
10/30 NHKBS

監督、フェデリコ・フェリーニ
気分がすぐれず序盤は作品に集中できずにいたが、それでもちょこちょこと印象に強く残る良い場面があり、後半になるとすっかり引き込まれてしまった。主人公の若者グループの5人は作品の冒頭で手早く紹介され、そのように流れるように説明されても頭に入らず、そこで乗り遅れたということもあったかもしれない

若者といっても、途中の台詞から、その中の一人・アルベルトは30歳だが。
その若者たちが保守的で先に明るい未来を感じさせない退屈な街で鬱々とした心情を抱え、小さな悪いことをやったりしながら生活してる様を描いた作品。こういう退屈を退屈として描くということで、「ストレンジャーパラダイス」を少し思い出した。モノクロだったからということもあるかもしれない。

その5人のキャスト
フランコ・インテルレンジ:モラルド
アルベルト·ソルディ:アルベルト
フランコ・ファブリーツィ:ファウスト
レオポルド・トリエステ:レオポルド
リッカルド·フェリーニ(フェリーニの弟):リッカルド
こうなっているが、3人の役名が役者の名前と同じだが、これはわざとそうしているのだろうか


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ジョニーは戦場へ行った [映画]

1971 アメリカ C
1/29 NHKBS

戦争で負傷し、もう意思は持たない状態だろうと判断されながらも上層部の都合により生きながらえさせられる男・ジョーの話。しかし、ジョーは大脳は正常であり意思があるのだ。そして顔は覆い隠されベッドに寝かされたジョーの回想や考えていることで物語は展開していく。
現在のジョーの状態、ベッドで横になっている状態だが、そこへ治療を行う面々が訪れるというような場面と、回想シーンが交互に出てくる。回想場面はカラーで現在の場面は白黒という風に最初は進むが、そうでない場面もある。また、現在の場面以外は回想だけかと思って見ていると、途中でなにか矛盾しているような展開になり、回想だけでなく、妄想とでもいうか、彼が今考えていることという場面であることがわかってくる。
最後にはモールス信号を使って外部の面々と意思の疎通に成功するのだが、それは治療している軍上層部にとっては不都合なことであった。
というような内容か。



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時計じかけのオレンジ [映画]

1971 アメリカ B
スターチャンネル無料放送 10/17

それほどこの映画について知らずにいたが、なんとなく「芸術的作品」であることは知っていて、録画したものの敬遠していた。
見始めて、そういえば「若者の暴力」描写がすごい作品ということを前に読んでいたことを思い出した。
序盤は見るのが苦痛なほどの暴力描写が続く。若者のどうしようもない暴力への志向。それと同時に超現実的というか、現実世界からは相当離れた「SF的」とでもいうか、もしくは「舞台演劇的」とでもいうか、そういう描き方が目立つ。その超現実的なものだからこそなのか、割りと作品世界に入りやすい。現実的に描かれると、顔を背けたくなったり細かい描写の辻褄が気になったりするもんだから。
その現実から離れたというのは例えばいくつか現われる部屋の中。こんな部屋は普通ないだろうというようなものが多い。

舞台演劇的に言えば3幕もの。主人公・アレックスが徒党を組み暴力に明け暮れるのが第1幕。捕まって刑務所に入る場面が第2幕。悪への志向を止めさせる実験を受けさせられての出所後が第3幕

第2幕、第3幕と見進めていくと、先に超現実的と書いたが、それが気にならなくなる。相変わらずそういう雰囲気でもあるのだが、現実に即した作品としても見れるような気がしてくる。

字幕で見たのだが、所々にカタカナでそのまま訳さずにしているが意味のわからない言葉が出てくる。ウィキで見ると「ナッドサット言葉」というものだそうだ。

「雨に歌えば」が非常に効果的、というか、その曲の持つイメージをぶち壊す場面で使われていて、鳥肌がたつ。しかも本編で2回(ラストでのクレジットの際のBGMがなんと本家ジーンケリーの「雨に歌えば」)使われるのだが、どちらも効果的。1回目は第1幕の暴力描写の場面、夫婦が住んでいる家に押し入り妻のほうを犯す場面で、それを歌いながら犯すのだ。
そして2回目は第3幕。その第1幕での家へアレックスはもう一度訪れてしまう。そのときアレックスは、第1幕で襲った浮浪者に再会し、浮浪者集団から暴行を受け、それを助けに入った警官がアレックスのかつての手下。彼らかも暴行を受け、ボロボロになって、その家へ助けを求めての訪問。そこで、丁重に扱われ、風呂に入ってるときにアレックスがこれを口ずさむ。
その漏れ聞こえる歌をその家の主人は聞いて、彼だと気付き・・・、とここら辺はその後の嫌な予感をかきたてる場面(ただ映像を見ていると、もっと前に主人はアレックスに気付いているようにも思える)

興奮して集中して見たというほどではないが、作品の出来が良いせいだろう、ずっと興味を逸らさない作りだと思った

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陽暉楼 [映画]

1983 日本 C
BSTBS 10/16(2015) 録画時間144分(上映時間144分)(CM入るのでカットあり)

監督 五社英雄
原作 宮尾登美子

出演者
緒形拳
池上季実子
浅野温子

「五社監督のいつもの」という感じ。そのイメージとは女優のヌードや濡れ場や、トップ女優同士の生々しい喧嘩の場面とか。ここでは浅野温子がヌードになっている。浅野温子が出ているというのはちょっと意外だったけど。
喧嘩は池上季実子と浅野温子だとか、浴場での倍賞美津子と佳那晃子(ヌード)のものがある。
で、それらの場面が見所なのか長いんだよねえ。
まあ映画が映像の芸術、もしくはエンターテイメントであるとしたら、それは見ものであることであることは否定しないけど。

で、そういうことに到るストーリーがちょっとおざなりという印象がある。とにかく目を惹く場面にすぐ行きたいという感じがする。

--wiki
キャスティング
『鬼龍院花子の生涯』に続き、仲代達矢に主演のオファーを出したが、佐藤正之から「仲代があんまりヤクザばっかりやるのはどうか」と断わられ、菅原文太にも断られた後、緒形になった。
--
緒形拳はこの作品にはどうかなあ。もちろん悪くはないけど。仲代、菅原ならハマると思う。

勝造と最終的に敵対するやくざ組織に小池朝雄、成田三樹夫、荒勢がいるが、まあここら辺はハマり役。
園佳也子が勝造の後妻役。こないだ見た銭形平次で平次の隣のおかみさん役の人だ。

冒頭、緒形拳と池上季実子が出てきてなにやらあって、テロップで20年後となる。何のことやら、と思っていたが見進めていくと、これは本編で池上季実子が演じる桃若の母親(演・池上季実子(二役))と勝造の場面ということだとわかる。

見終えてから、桃若の同僚の芸子の女優に結構名のある人がいるのに気付いてもう一度見直した。
二宮さよ子、市毛良枝、熊谷真実、西川峰子、仙道敦子といった面々。二宮さよ子、西川峰子は名前聞いたことあるかなという程度なので顔はよくわからない。二宮さよ子は確か必殺で時折名前を見たと思い調べてみると、かなりの作品数に出演しているようだ。ああ、「必殺剣劇人」ではレギュラーだな
市毛良枝は見直したけど、自分の知ってる面影ではなかった。芸者のメイクをしているからというのもあるだろうか。
熊谷真実は見ている最中からわかった。
仙道敦子。「鬼龍院花子の生涯」に子役で出てたなあ、と思い、ここでも子役なのだろうと思ったが、ここでは芸者見習いか、芸者になったばっかりか、それくらいの若い芸者役。調べてみると、緒形拳の息子と結婚してるんだね。かつてかなり売れた人だが、いま画像を確認したがあまり顔は覚えていない。まして子役時代だからなあ。

さてほんのちょっとだけ見直して気付いたことがある。勝造が殺され、珠子が駅で勝造を待つ場面を終えてのラストシーン。二つの場面(芸子が踊る場面と、小さい娘を肩車している男の場面)が挿入されるが、これどちらも回想シーンかと思っていた。映画の序盤に芸者たちが客たちと大人数で輪になって踊りまくる場面がありそれは映画の最初にあったキャストクレジットでも引用されているのだが、これがお尻をちょっとくねらす少しだけエロチックで陽気な踊り。ラストで出てくるのもこの場面かと思った。同じ踊りだと思うのだが、こちらは隊列を組む形で芸者だけが踊っており、踊りのお稽古かもしれない。そして、顔の確認はしっかりとはしていないのだが、最後に画面の中央に大写しになるのは仙道敦子なのではなかろうかと思った(さっきも書いたように顔だとあまり判断できなくて、劇中の彼女の顔と比べるしかない)。そして、それだと桃若亡き後の陽暉楼で仙道敦子演じる芸者が中心になってきたということを暗示しており、話がつながる。
小さい娘を肩車している男の場面。これは勝造が子供のころの桃若を肩車しているものと思い込んでしまったなあ。ウィキに桃若の弟である忠が成人になってラストで出てくるとあるのだが、「出て来ねえじゃん」と見終えたのだが、この肩車してるのが忠、娘は桃若の娘ということか。これは気付かなかった。

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序の舞 [映画]

1984 日本 C
1/20 BS日テレ 上映時間(145分)。録画時間(114分)

監督 中島貞夫
原作: 宮尾登美子
出演
島村勢以: 岡田茉莉子
島村津也: 名取裕子
西内太鳳: 風間杜夫
村上徳二: 三田村邦彦
高木松溪: 佐藤慶

相当カットありかあ
予想外に非常に良かった。この手の作品としてはわかりやすい。と、「この手の」と一くくりにするのはおかしいか。例外になっているのだから。「この手の」というのは、制作年度や出てくる俳優、題材(原作が宮尾登美子で主演が名取裕子)からして、五社監督に代表されるような「芸術的」とも「冗長」ともいえる作品群を思い起こしていた。この作品に「冗長」を感じなかったのはカットが多かったからかもしれないが。
名取裕子はこれまでに何本か見ているものの、これといった印象がない。この作品はなかなか良いと思った
成田三樹夫、江幡高志がキャストに入っているが、どちらも出番が少ない。江幡高志は大物ではないから少なくてもおかしくはないが、成田三樹夫の場面はカット入ってるんじゃないかな。江幡高志は薬屋の親爺で、主人公が子供を堕ろす薬を買いに来る場面で、台詞は一言だけ。

小林綾子は勢以の少女時代、作品の冒頭。作品は勢以が貧しい生家から主家ちきり家に養子に出される場面から始まる。大ヒットドラマ「おしん」(1983年)を想起させる場面。
その勢以が成長し養父養母は死に、結婚したものの主人も早逝し二人の子供を抱えて困るという風に展開する。そこで出てくるのが勢以の母親役の菅井きん。勢以に子供を養子に出せなどと口を出すのだが、勢以が彼女を養子に出してしまった産みの親とつながりがあるのは変に思える。これは作品のラストで、同じようなことが繰り返されるが、やはり違和感。特にその直前に、勢以がちきり屋の人間として生きてることを台詞で言っており、生家の島村が口を出すのはなあ(台詞で言ってるということよりも、作品内で常に勢以はちきり屋にいるということが描かれている)。
まあ、とにかく、序盤の10分にも満たない場面でのチョイ役にこういった有名な人たちで出ているのは豪勢。

作品内容は画家である島村津也の生涯を描いたもの。年号と絵画の作品が時折挟みこまれるので実在の人物かと調べてみると、モデルになった人はいるみたいだ。

一人の女の一生を描いたもの(冒頭から入れるとその女の母親の娘時代から描かれている)で時代背景はとても長い時代変遷を追っている。そのため、時代が一気に経過する場面転換が何度もあるが、これがなかなかうまく出来ていてわかりやすい。わかりにくくなっていると、時代が経過したのかどうかを見落とすことになり、そのため作品内容についていけなくなることがよくあるのだが。
今作品でいくつか見られたのは、何かの事象が起きると、その場面を直接的に描かず、場面が転換して、次の場面でそこでの登場人物がその前の出来事について語るということによって、さっきの場面がどう経過したかがわかるようになっている。

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ローラーガールズ・ダイアリー [映画]

評価C
---
BSプレミアム3月22日(火)午後9:00〜10:52

テキサスの小さな町に住む17歳のブリスは、保守的な母親から美人コンテストへの参加を強いられることにうんざりして、どこか満たされない毎日をおくっていた。ある時、街で観戦した“ローラーゲーム”で、パワフルな女性たちが繰り広げる過激なスポーツに魅了されたブリスは、家族にないしょでチームに入団してしまう。選手としての才能を開花させ、仲間たちと友情を育み、自分の居場所をみつけていくブリスだったが…。

【製作・監督】
ドリュー・バリモア
【製作】
バリー・メンデル
【原作・脚本】
ショーナ・クロス
【撮影】
ロバート・イェーマン
【音楽】
ザ・セクション・カルテット
【出演】
エレン・ペイジ、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ジュリエット・ルイス、ドリュー・バリモア ほか

製作国:
アメリカ
製作年:
2009
原題:
WHIP IT
備考:
英語/字幕スーパー/カラー/レターボックス・サイズ
--
自分にはなんともわかりづらい部分が多かった。といっても大筋はわかるし、どういうジャンルのものかもわかる。ジャンルとしてはハイティーンの少女が厳格な母親から独立しようとする物語。理解しあえない親子という永遠のテーマと、ラストには和解というそういう意味ではわかりやすい、そしてそれに沿って言えば、感動的な場面がいくつもある青春物語。
なぜか「JUNO/ジュノ」という映画を思い出していたのだが、主人公が同じ人。やっぱ顔を見て思い出したのかな。
細かい部分でいくつも引っかかる場面があった。それには理由がいくつもあり、またわからないレベルがいく層かに分かれていると思われる。
理由としては、まず自分が身を入れていないから見落としなどでわからなかったというもの。これは自分に責があり、これについては指摘しても恥ずかしいだけであろう。
他には、この作品の時代や地域の背景への理解不足がある。それと同じレベルであろうが、この作品の舞台であるローラーゲームについての知識不足から来るわからなさというののもある。このローラーゲームについては疑問がたくさんあり、ルールが分からないことから、描かれている作戦のそれぞれがあまり現実的でないように思える。この作品で見た感じだけで言えば、野卑なB級スポーツでプロレスだとか地下格闘技(女子ボクシングなんかもそう)のような楽しまれ方をしているもののようだ。
わからないのレベルというのは説明に困る。全くわからない事象というのは説明のしようがなく、そういう場合、「作品が始まって、○分○秒のところから2分間の場面がわからない」とか、その場面の登場人物の台詞をそのまま書き写し、そこがわからないと指摘するしかない。
しかし、多くの場合、自分なりに解釈をして、その解釈どおりの台詞を言わないとか、その解釈どおりの演出になってないということに対する疑問なのだ。そしてその自分の解釈というのが、自分でもその解釈が正しいはずだと思う場面や、この解釈でいいのかと思う場面、多分この解釈は間違ってるんだろうと思う場面と各々自然に判断しているものなのだ。
前の例で言えばローラーゲームのルールがわからないから、自分なりのその解釈は間違ってるかもしれないが、その作戦はおかしいのではないか、などと考えることである。
そういえば、こんな場面があった。途中でコーチが作戦3をやろうと言い、選手が拒否する。そうすると、コーチが相手チームのコーチにその紙を渡し、この作戦をやってみろと言う。自分の選手たちはその際「裏切り者のコーチに負けてたまるか」などと言っている。そして相手チームはその作戦3を行い自軍はまんまとそのゲームに負ける。
そんなに簡単に紙を渡す程度でその作戦というのは行えるものなのか、相手のコーチにその紙を渡された程度でその作戦をあっさり受け入れるものなのか。
この場面はもっと肩の力を抜いて文字通り受け取れば良いのだろうか。多分選手たちの「裏切り者のコーチ」という台詞から、極上の作戦をあっさり相手に渡してしまったという解釈で良いんだろうけど。
もうひとつ細かい場面。主人公ブリスと家が嫌で車の中で息抜きしてる父親との場面。ビールを欲しがるブリスだが、父親は缶を渡さず、開いている飲みかけを「一口だけだぞ」と渡す。父親の見てるフットーボールに興味があるように話を合わせながら、その缶をものすごい勢いで飲み干す。父親に「フットボールに興味あるのか」と言われ、「いや」と答え空の缶を手渡すという場面。これは軽い笑いの場面だろうか。
微妙にわかりづらいんだよな。
もうちょっと下世話にやってもらったほうが自分にはわかりやすいが、この作品の対象者じゃないだろうな、おれは。
そういう意味ではキャラが立っていないというか、主人公一家や、地元の友だちはいいんだが、チームメイトや他チームの選手たちにはもうちょっとわざとらしいくらいまでにキャラを目立たせたほうが良かった。

そういえばこんな場面もあったな
ブリスはローラーゲームが親にバレ、家出をし独立しようとするのだが、やがて家に戻り、親に許しを請う。
それのきっかけとなっているのが、ロックバンドをやっているボーイフレンドのツアー中の写真を見て、他の女の子とイチャイチャしているのを見てのことなのだが、あっさりとしていて、気付かなかった。なんで急に家に戻って親に謝ってるんだろうって。それでよく考えてみたら、ああ、この場面がきっかけになってるのかと後になってわかった(それ以外にも選手仲間の説得があって、そっちのが大きいようにも思うけど)。
こういうところももっとあざとく演出されてても良いと思うが、まあこれも余計なお世話というか、こういう風に撮りたかった、こういう作品なのだと言われてしまえばその通りだとも思う。

でこないだ見た「フィクサー」のときも書いたような気がするが、もう一度見れば理解が相当に深まると思うが、二度見るほどのものかどうかが、なんとも。

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アルゼンチンババア [映画]

評価D
--
2016.03.20 [日] 深夜2時5分
「アルゼンチンババア」

哀しみを癒してくれたのは、蜂蜜と、マテ茶と、情熱のタンゴ…。しあわせの魔法に心癒され、明日への元気がじんわりと湧き上がる。大きな愛と命の物語。
STORY あらすじ

仲の良い3人家族の中心だった母が闘病の末に他界する。墓石彫り職人の父はその日に限って病室に姿を見せず、そのまま行方をくらましてしまった。それから半年後、父は風変わりな女のもとにいた。昔はタンゴやスペイン語を教えていたらしいが、今では怪しい呪文を唱えていると町の人からはアルゼンチンババアと呼ばれていた。一人娘のみつこは父に会うため、勇気をふるってアルゼンチンババアの屋敷を訪ねる…。
DATE 製作年

2007年
DIRECTOR 監督

長尾直樹
SCRIPTWRITER 脚本

長尾直樹
CAST 出演者

役所広司
日本のいちばん長い日、蜩ノ記、十三人の刺客、うなぎ、Shall we ダンス?
堀北真希
蜩ノ記、県庁おもてなし課、ALWAYS 三丁目の夕日シリーズ、白夜行、大奥
鈴木京香
おかあさんの木、清須会議、沈まぬ太陽、釣りバカ日誌13 ハマちゃん危機一髪!、ラヂオの時間
森下愛子
宇宙兄弟、築地魚河岸三代目、涙そうそう、シムソンズ、木更津キャッツアイシリーズ
手塚理美
イニシエーション・ラブ、クロユリ団地、余命1ヶ月の花嫁、ALWAYS 続・三丁目の夕日、象の背中
岸部一徳
天地明察、教祖誕生、病院で死ぬということ、僕らはみんな生きている、死の棘
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特別悪い作品だとも思わないが、見てる最中は退屈を感じ、見終えてから振り返ってみても、何も残らなかったなあという印象。
間合いをたっぷりとって、ゆったりとした台詞での芝居、演出の場面がいくつかあり、それ自体は悪いわけではまったくないが、今作品ではそれが退屈。
堀北真希が大層若く見え、しばしば現在のそれと違う表情。
音楽が小松亮太。これの前に見た「顔」cobaと近い世界だろうか、アルゼンチンタンゴがふんだんに。
「顔」にも出てた岸部一徳がここにも

原作がよしもとばななで出版元がロッキング・オン。

上映時間:112分。録画時間125分

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 [映画]

2000 日本 C
BSTBS 3/20
上映時間123分。録画時間144分

監督 阪本順治
主演 藤山直美

あまりどういう作品か知らずに見始める。序盤は陰気な雰囲気、母親が経営しているクリーニング屋で暮らす引きこもりの女と快活な妹の対比がなんとも陰気でこれがずっと続くようならしんどいと思っていた。がそれは物語の発端部分で、その母親が死に、その通夜の夜に女は妹を殺し逃げ出すという意表をつく展開。これは面白くなりそうだと思った。
で、この作品はその逃亡劇を描いたもの。藤山直美が主演だから笑いを期待してしまうが、そして所々に彼女の特徴的なひょうひょうとした喜劇的ともいえる芝居が入っている(他にもあるが一例、ラストで海を泳いで逃げようとする彼女の表情、悲壮感がなく、切迫感もなく、むしろふざけてでもいるような感じ)ものの、笑いを起こさせるような場面はない。笑わせにかかればできるのだが、そこは抑えたのだと思われる。

妹役は牧瀬里穂、母親役は渡辺美佐子
脇役では、まず中村勘九郎。序盤のチョイ役で、「あれ、なんか似てるなあ」と思ったらやはりそうだった。役柄としては彼にしては意外に思える下層労務者、たぶんトラックの運転手で、正子を強引に犯すという役。たぶんこの二人は舞台演劇のトップ役者同士として相当深いつきあいがあったであろうと考えられるので、楽しんで演じているのがわかる。
他に佐藤浩市。後半以降ストーリーに強く絡んでくる役だが、序盤(まだ殺人事件が起きる前)にも顔を出しており、それについては後半で再会したときに言及されないので、序盤のアレは違う人だったかなと思わせる(見直してやっぱり佐藤だった)。
岸部一徳。この人は色々な映画で見る。貴重な倍プレイヤーで引っ張りだこ状態。
國村準がずいぶん若い印象。いま、ウィキを見たら、2006年NHKドラマ「芋たこなんきん」で藤山と夫婦役をやっている。
他に、豊川悦司、大楠道代、正司照枝など。内田春菊も。

音楽がcoba。主題歌が実に良い。どういったらいいか、作品に合っているというか、いや逆に作品の色を主題歌で決めているというか。先に書いたように陰鬱な作品でなく、どことなく飄々とした雰囲気を体現しているように思う。歌の調子はジャズボーカル風、憂歌団とか上田正樹のような世界をジャズアレンジにした風。下層階級のバイタリティみたいなものを感じる。

「福田和子の事件をベースにしている」とのことで、ネット上でその事件についていくつか読んでみたが、なかなか面白い人物のようだと思い、また藤山直美はうまく演じていると思う。といってもベースにしているだけで、その事件を描いたものではないが。ただキャラクター設定は福田和子から想起したものなのだろうと思わせる

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華麗なるギャツビー [映画]

評価C
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BSプレミアム2月26日(金)午後11:45〜2:09

ニューヨーク郊外のロングアイランドに建つ豪邸で、夜ごとパーティーを催す謎の富豪ギャツビー。貧しい家に生まれた彼は、第1次大戦中に出会った恋人のデイジーに裏切られたことをきっかけに、終戦後、努力して財界でのし上がっていった。やがて、人妻となったデイジーと再会、2人の愛はよみがえったかに見えたが…。R・レッドフォードが出世欲に燃える青年ギャツビーを熱演。アカデミー衣装デザイン賞、歌曲・編曲賞受賞。

【製作】
デビッド・メリック
【監督】
ジャック・クレイトン
【原作】
F・スコット・フィッツジェラルド
【脚本】
フランシス・フォード・コッポラ
【撮影】
ダグラス・スローカム
【音楽】
ネルソン・リドル
【出演】
ロバート・レッドフォード、ミア・ファロー、サム・ウォーターストン、ブルース・ダーン ほか

製作国:
アメリカ
製作年:
1974
原題:
THE GREAT GATSBY
備考:
英語/字幕スーパー/カラー/レターボックス・サイズ
--
先にチラッと紹介文を見ており、ロバート・レッドフォードが主演と認識。しかし序盤でなかなか彼が出てこないので、どういうことか、紹介文読んだのは違う映画だったかななどと思ってしまう。主人公がなかなか姿を現さないでミステリアスな雰囲気を醸しだすという演出であった。
語り手がレッドフォード演じるギャツビーの隣人・ニックという構造

トム・ブキャナン(演・ブルース・ダーン)、ニック・キャラウェイ(演・サム・ウォーターストン)、どちらも上手い。

どういう傾向の作品なのか、どこの物語の焦点があるのか中盤までわからないまま見進めていく。主人公のギャツビーがなにやらミステリアスで、そのギャツビーと過去になにやらわけありのデイジー(トムの妻)はあまり魅力的だと思えず、きれいな純愛物語でもなさそうだし、どこにも感情移入しづらい感じ。上流階級の退廃的享楽を楽しんでる様を鑑賞する作品のようでもなさそうだし。
結局その疑問は最後まであまり明らかにはならず、しかし、それはそれで良いのではないかと考える。見る人によって解釈が異なり、受け止めも違うのではなかろうか。自分ひとりで考えても、数年後見たらまた感想が変わるのではなかろうかと思う。

ラストではギャツビーの父親が出てきて、ある程度ギャツビーがどういう人間かわかる。またニックはラスト近くの台詞でギャツビーをとても良い人間としているので、そういうキャラクターだったということか。
トムは終始一貫悪役キャラクターだが、それでも今作品の中で、とくにギャツビーと比べて極めて悪というほどではない。
デイジーは愛に生きようとする素晴らしい女性というキャラクターなのかと途中までは思ったが、それが強烈に印象付けられず、そしてラストではただの打算的女性だとわかる。

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釣りバカ日誌8 [映画]

冒頭に「釣りバカ紀行」がなし。調べてみると、今作は上映時間が105分、前作は97分。概ね冒頭に10分程度の入れ事が入る作品より今作は10分程度長い。これは前作までが「寅さん」との二本立てで今作からこちらがメインになったからだと思われる。

小野寺昭が鈴木建設幹部に加わり、竜雷太との「太陽にほえろ」組の競演が嬉しい。

メインゲストは柄本明と室井滋。メインゲストでありながらかなりあっさりとした描き方。柄本明は寅さんでも観てるからいくぶん食傷気味だが、室井滋は相当に良くもっと使えば良いのに、と思う。
柄本明は「ハカセ」と呼ばれてるが、なにものかよくわからない。室井滋はスーさんの親友の娘で医者。このふたりが結局結ばれるという展開だが、この二人の出会いは最悪で、そこからどう転がっていくか、いくらでも膨らませられそうなのに、作品の中盤で突如結婚式になり、そこからハマちゃんスーさんは抜け出し釣りに出かけ、後半はその二人だけの川釣りと雨が降っての遭難騒動をたっぷりと。遭難の場面は二人の芸達者な部分がふんだんにありこういう部分が今シリーズの見所なのかもしれないが、筋としては大して面白くはない。寅さんだったら、結婚式がラストシーンで二人がそうなるように寅さんが奮闘するんだろう。

他にビートきよしも出ている

北山雅康の名前がクレジットにあった。今シリーズでしばしば出てくるように思うが、どこに出ているのだろう。ハマちゃんと同じ課の若手社員あたりかもしれないな

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