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ブエナ★ビスタ★ソシアル★クラブ [映画]

1999 合作
10/14(土) 00:15 -
NHKBSプレミアム|103分(上映時間 105分となっているがどういうことだろう)

キューバ音楽のドキュメンタリー。監督はヴィム・ヴェンダース。ライ・クーダーが音楽的なプロデューサー的役割を務めている
当時ずいぶん流行ったのでタイトルだけは知っている。自分もこういう辺境の地の音楽は多少好きだったので、きっといいものなんだろうと思いながらも聞くことはなかった。ずいぶん後になっての、つべで一時期いろんな音楽を聴きまくってたころがあって、そのときに、これ系統のものもずいぶん聞いた

関係のない話
ジョセフ・スペンス(Joseph Spence)をふと思い出した。この人はキューバだったかなとか、これが製作されたことはまだ存命だったかとかね。
調べてみると、バハマの人でキューバとは近いがキューバの人とはいえないな。亡くなったのは1984年。
おれが知ったのはアーロン・ネヴィルの『ウォーム・ユア・ハート』(Warm Your Heart)、1991年のアルバム。日本版の解説で、最後の曲のひとつ前、アイ・ビッド・ユー・グッドナイト "I Bid You Goodnight"(ライ・クーダー参加)について、チャック・ベリーとキース・リチャーズに関係になぞらえて書かれていたのを覚えている。キースがチャック・ベリーの弟子なら、ライ・クーダーはジョセフ・スペンスのそれ、みたいな感じでね。そういやこのアルバムはこのラストの方の曲順がドラマチックでアルバムというものの特性を感じられる作品だった。
ジョセフ・スペンスのギターというのはどこか独特なのだがどこがどう独特なのかよくわからない。和音とリズム、その組み合わせの妙なのだろう。
そういえば、ドクタージョンの自伝に唐突にこの人の名前が出てくる。プロフェッサー・ロングヘアについて書かれた章の最後で、フェスの音楽を称えた上で、「フェスの音楽は独特で、似ているように思うのはジョセフ・スペンスしかない」というような書き方だったと思う

さらに関係のない話
ドクター・ジョンのライブによく行った。公演名に「ドクター・ジョン アンド 〇〇」とバンド名がついているのだが、それが来日のたびに違っていた。バンドのコンセプトは同じでドラム、ベース、ギター、パーカッション、管楽器3本という構成だったと思う。つまり、バックバンドの名前はわりといい加減なものだったのだろうと思われる。
近年はザ・ロウワー・911(THE LOWER 911)という名前で、ドラム、ベース、ギターというシンプルな編成でずっとやっているようだ。
初めて行ったのが確か1991年のガンボ・ジャンボ・カーニバルでこのときは「ドクター・ジョン アンド ルイジアナルミノルドズ」とかそんな感じ。その次のときだったか、「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」をモジったかのようなバンド名だった。なんだったかなあ。プレジャーなんて単語も入ってたはず。このころよく聞いてたピーター・バラカンのラジオでこのライブを告知したとき、「バンド名が洒落てますね」とか言ってた。当時「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」という言葉を知ってたから、それをモジったのかなと思ったはずでその活動が始まったのが1996年かあ。変だな、そのころはもうライブなんて行ってないような気もする。ほかに検索すると「Zulu Social Aid & Pleasure Club」というものを始め、いくつか出てくるから、そこら辺をモジったものなのかもしれない。

ガンボ・ジャンボ・カーニバルのときのルミノルドの意味が分からないながら格好良いと思った。そういやこのときはドクター・ジョン単独の日と、ネヴィル・ブラザース、アーマ・トーマスのジョイント(ドクター・ジョンの出演はなし)のときと行ったのだが、ネヴィルのほうはなんとアーロンが腰痛とかで、代わりにということで、ドクター・ジョンがギターでネヴィルパート全部に出演したという珍しいこともあった。ネヴィルのそのころのオープニング曲は「ポッキーウェイ」とメドレーでドクター・ジョンの「I Walk On Gilded Splinters」を取り上げていて、その場面で本人が歌って盛り上がってたっけ。またアンコールではアーマ・トーマスも出てきて、ハウリン・ウルフの「wang dang doodle」。このイベントに参加していた三者が揃ったのはこのときだけだったのでは。でもドクター・ジョンのファンであったおれでもアーロンの欠席のほうがショックだったけど(このときがネヴィルの初めてのライブ)

その当時行っていたライブのバンドメンバーは地味に有名どころが多くどこを見ていいのか迷うほど見ものであったはず。自分はドクター・ジョンばっかを目当てにしてたけど。アルヴィン・レッド・タイラーは亡くなるまで毎回来ていたと思う。ロニー・キューバー が来ていたときもあったと思う。アンコールのときに、ステージから皆がはけるが、彼が最後尾で、はけるふりをしながら、ステージ上に体を残したまま足踏みをして、そのまますぐ戻ってきたのを覚えている。どうせすぐアンコールやるのは決まってるのだからという茶目っ気である。
ドラムは毎回違っていて、毎回著名な人たちだったはず。「ガンボ」のフレディ・スティール(Fred Staehle)が来た時もあったはず。ハーマン・アーネスト(THE LOWER 911にも名前が見える)のときもあったな。Johnny Vidacovichなんて名前も思い出したが、これは違ったかな。ギターも頻繁に変わっていたような。白人の人のときもあったし、黒人の人のときもあった。ヒュー・マクラッケンいたときもあったような気がするが、これは勘違いかな。
逆にベースは毎回同じでデヴィッド・バラード(David Barad)という人。THE LOWER 911でもやっていて、ドクター・ジョンとずいぶん長いことやっている。
パーカッションはどうだったかなあ、一回、マルディグラ・インディアンのビッグ・チーフだというチーフ・スマイリー・リックスという人が来ていたのを強烈に覚えていて、それ以外の回にパーカッションの人がいたかどうかもちょっと忘れた。チーフ・スマイリー・リックスという人についてはCDを見つけて購入した覚えもある。ライブではオープニング「アイコ・アイコ」でドクター・ジョンが出てくる前から、チャントを叫び、客を煽ったり、最後のメンバー紹介の場面でみな紹介される際、自分の楽器を弾くのだが、彼は、「リトル・ライザ・ジェーン」をやっぱりチャント風にやったり。そうだ、最後のドクター・ジョンがステージから去るときのテーマミュージック「It Aint My Fault」(Smokey Johnsonというニューオリンズの有名ドラマーの曲で後年につべでいろいろ音楽を聴いていたとき、この曲が有名なものだということを知った)の際も、ラップ風にドクター・ジョンを紹介してたっけな。ライブ終わったら女の子に電話番号渡してたのも見た。
いま、ドクター・ジョンの個別レコードのウィキを見ていたら、当時製作されたものの参加ミュージシャンにこのころのライブにいた人の名前が散見できるので列挙しておく
ボビー・ブルーム - ギター
チャーリー・ミラー - トランペット
エリック・トラウブ - テナー・サックス

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