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真夜中のサバナ [映画]

1997 アメリカ 吹替版
09/27(水) 17:58 -
BSジャパン|115分 (上映時間 155分。大幅カットか)

クリント・イーストウッドが監督、出演はしていない。代わりにというわけではないが、娘のアリソン・イーストウッドがわき役。
ジョン・ベレントの1994年の同名のノンフィクション・ノヴェルが原作(映画、小説とも原題は「Midnight in the Garden of Good and Evil」
主役は雑誌のライターで取材に訪れたサバナというアメリカ南部で出会った事件について調べていくという話。このライターはイーストウッドが演じるようなキャラとは大分異なっており、そりゃそうだ、似通ってるなら自身が演じているだろう、また年齢も若い。
変てこな話で最後まで見てもなにやらモヤモヤした感じがするサスペンス。アメリカ南部ということで呪術的とでもいえばいいのか、そういった人物や事象がかなりたくさん描かれる。これについては原作小説のほうのウィキにこうある
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但、ブードゥー教の呪法やゲイ・クィーンのシャブリなど、明らかにディープサウス趣味に走り過ぎの傾向もある
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また一部引用するが「ポンコツ映画愛護協会」というサイト(自分の見たものを検索したとき上に出てきていると読むようにしている)の文章が非常に的を得ているように思う。
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サスペンスとしては、冗長だしユルい。
ミステリーとしては、真実が明らかにならない(匂わせることも無い)のだから不完全だ。
しかし、原作がミステリー小説ではなくノンフィクションであること、そして実際の事件も謎が解明されないままで終わっていることを考えれば、そうなっても仕方が無い部分はある。

そもそも、クリント・イーストウッドが、この映画をミステリーやサスペンスとして演出しようと思っていないように感じる。それよりも、彼はサバナという町の持つ不思議な魅力に惹かれ、それを観客に伝えようとしているのではないだろうか。
序盤、マーサー邸で絵の奥に別の絵が隠されている作品を見たジョンが、ジムに向かって「何が描かれているか知りたいでしょう」と尋ねる。この時、ジムは「いいや。謎を楽しむのもいい」と答える。
この映画は、そういう意識で作られているのだ。謎を解き明かそうとするのではなく、謎めいた町を楽しもうという意識で作られた映画なのだ
(中略)
公判が始まっても、相変わらずノンビリしたムードで話は進み、ジョンが黒人の舞踏会に出席するという、裁判や事件とは全く関係の無いシーンが挿入される。しかも、そこではシャブリが勝手に乱入し、完全に主役の座をかっさらっていく。
シャブリは、その後の法廷シーンにも登場し、そこでも完全に主役の座を乗っ取る。コメディー・リリーフのような存在のシャブリが主役の座を奪うのだから、そこに緊迫感など生まれようはずもない。すなわち、監督に緊張感を出そうという意識が無いのだ。

この映画は表向きは殺人事件が主軸だし、ケルソーが主人公だが、実際は違う。
本質的な主役はレディ・シャブリであり、サバナという不思議な町と、そこに住む奇妙な人々を描く映画なのだ。
それに比べれば、事件の真相など、別にどうだっていいのだ
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上記引用文にあるがレディ・シャブリという人が非常に目を惹いた。なにものなのかと調べてみると、英語版ウィキに「drag performer」とある。なおさら何が何やら。まあそういった文化的背景から女優や著述業をやった人らしく、原作にも出てきて、本作ではほぼ自分役(ちょっとだけ名前を変えている)。この原作に出てくることが、彼女の世に出る最初だったようだ。
また、彼女の吹替の声が誰かに似ていて、もう「ここまで出てるのに」という感じなのだが誰だかわからない(追記、数日後ふと思い出した。漫才のあした順子さんだ)。吹替の声をあてているのは瀬畑奈津子となっているが、自分が思い浮かべているのは、自分のよく知ってる人だから、これは違う(というか瀬畑奈津子さんという名前はこれまで知らなかった)。
上記引用サイトにシャブリのトーク・ライヴの場面について書かれているが、これは全編カットされていた。上記の上映時間を見てもわかるが大幅にカットされているようだ
面白くもない作品だが、南部文化を描いたものとすると、全編見てみたい気にもなる

出演はジョン・キューザック、ジム・ウィリアムズなど

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